実績紹介

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銀行・信金・損保・生保等の講演会など、様々な場所に講師を派遣しています。

2016年11月 ガッツ石松先生の講演を聴いてきました

2016年11月 ガッツ石松先生の講演を聴いてきました

11月に都内で、長きにわたる弊社お得意様ご主催でご指名されたガッツ石松先生「笑いは健康のOK牧場」と題しての講演を聴いてきました。

タクシーの運転手さんに「そこを右に左折してくれる?」と言ったとか言わなかったとか、でスタートし場内大爆笑でまず掴みはOK(牧場)。
「普段から面白いんだけどいたって真面目です」と。
そして「わが人生をお話ししますが真面目な話になりますので最後までお付き合い下さい」と。

笑顔は挨拶
鏡の中の自分に笑い掛けると笑い、ブスッとするとブスッとするように、相手に対しても同じ「顔は心の窓」

成功とは失敗の大きな山の中に咲く成功という一輪の花に過ぎない
失敗から学び続けた人生だった。
哲学的なことも。

栃木では幼少期からどのような環境、両親や兄弟の中で育ってきたか、どんな子供だったかなど。

中学卒業後上京し、住み込みで働きながらプロボクサーを目指したこと。
そこで良き指導者、トレーナーとの出会いがあった。
女優の“梶芽衣子”さんに似た超美人の奥様との出会いもこの頃。
確かにご子息(ガッツ石松先生のマネージャーでこの日も同行)がかなりのイケメンですので間違いないと思います。

世界チャンピオンになるまでの道程。
ガッツポーズ誕生秘話。
引退、そしてその後。
引退後も失敗だらけ。

橋田寿賀子さんとご主人との出会いから俳優として活躍。
撮影エピソードも。

衆議院議員に立候補し落選した話も明るく話された。

ガッツ石松先生の座右の銘とも言うべき「人間万事塞翁が馬」の語源を解説され講演を終えられ、最後に質問に答える形で「OK牧場」誕生エピソードを話された。

さすがスポーツマン。
礼儀正しく非常に真面目でよく勉強され色々なことをご存知で人柄も良く大変優しい方でした。

また控室でも色々なお話しをさせて頂き、とても気を配られるクレバーな方だという印象を持ちました。
私としてはもう少し数多あるやんちゃ時代の“ガッツ石松伝説”をお聴きしたかったなぁと思いました。

2016年11月 中畑清先生のトークショーを聴いてきました

2016年11月 中畑清先生のトークショーを聴いてきました

神奈川県内で、長年の弊社お得意様ご主催で、中畑清先生「話も舌好調」と題してのトークショーを聴いてきました。

進行役はは元日本テレビアナウンサーでジャイアンツ戦の実況を長くされておられた吉田塡一郎氏

中畑氏は神奈川県にご両親も祖父母も戸塚のお寺にお墓があり、いわば地元。
なるべくして横浜ベイスターズの監督になった。

高田繁GMが横浜DeNAベイスターズの監督就任要請に来られた時のエピソード。

お互いに自宅が近いということもあったが、なんと高田GMはママチャリに乗って来られた。
しかもご自宅の庭でとれた枝付きの甘柿を持って。
さらに「ある人と交渉中だが、もし破談になった時の保険なんだけど」と言われ、二つ返事でOKし翌日に監督就任となった。
大どんでん返しだった。
「実はあの柿が契約金だった」と大爆笑を誘う巧さ。

原辰徳氏とのエピソード。
お互いが監督になってずいぶん話し、色々なことを教わり勉強させてもらった。
原氏は「勝つ」ということにかけては凄い監督

高橋由伸監督に「今期よくあの戦力で2位になったな」と言うと「中畑さんだから言いますけど・・・」と愚痴っていたが、「俺を信用するヤツはあまりいない、珍しい」とちゃんとオチを付ける。

ドラフトの時にGMからは誰を指名するかといった情報は何も教えてもらえなかった。
監督に教えると漏れるから。
「だって知ると喋っちゃうもん、黙っていられないから」とまた笑いを取る。

筒香選手について
シーズン前に「4番にできなかったら責任を取る」とまで言い切って使い続けた。
キャプテンにして本当の意味でチームの柱になって欲しかった。
リーダーシップを取るという自覚を持って。
今シーズン(2016年)(本塁打を)44本打った。
彼の偉い所は2015年に2年連続3割、本塁打24本打っても自己満足せず、本来ならバラ色のオフを過ごせるにもかかわらず、自分を見失ってはいけないとオフに単身ドミニカに1か月行った。
そして44本、3割2分2厘、110打点で本塁打、打点の2冠という自己最高の成績を残した。
人間的に大きく成長した、褒めてあげたい
これからもっともっといい選手になっていくと思うし、今後の成長をとても楽しみにしている

監督時代は言行一致を心掛けた。
そうでないと誰も付いてきてくれない。

長嶋さん、王さん、藤田さんから多くを学んだ。
監督として凄いなと思ったのは藤田さん。
サラリーマン経験があり、ONと違って花道をずっと歩いてきた方ではないので人の痛みがわかる、情の深い方。
目配り、気配り、思いやりが半端ない。
特に裏方さんに対する配慮が素晴らしかった。
ベンチから観察して勉強になった。

長嶋さんは「直感力」と思われがちだが、ONともにデータ重視型
藤田さんこそが「直感力」の人。

それがあったからこそ最下位・5位・5位・最下位だったけれどファンの皆さんからは辞めないでと言われ、ある程度の評価を頂けたのだと思う。
ファンの皆さんからの声は本当に嬉しかったし、辞任会見を終えて外へ出ると3000人ものファンがいて感動して涙が出た。
ここで吉田氏がタイミング良く「もう一回戻って来て、ということでしょう」と合いの手。
2004年アテネ五輪で長嶋監督が病に倒れた後監督代行として指揮を執り銅メダルを獲得した時のエピソード。
みんな頑張っての結果なので胸を張れる銅メダルだったのだが、金メダルを持って帰れば長嶋さんの病気が治ると信じて戦ったが銅メダルに終わった。
それができなかったことが今でも心残り。

選手時代に長嶋さんが監督の時、ある試合で1回終わって0-1で負けていて2回表に「なぁ清、今日は負けだな」と言われ、まだ2回でこれから反撃しなきゃいけないのに監督がそれ言ってどうすんの?と思ったが、自分もチャンスに打てず結果は本当にそのまま負けてしまった。

その他長嶋さんの大爆笑エピソードをいくつか披露。
普段は「プレッシャーを楽しみなさい!」と言っていた長嶋さんがオリンピック予選で無事3連勝した後、初めて「清、これがプレッシャーなんだな」と言ったほど日の丸を背負うということは重い

最後に長嶋さんの近況の話の中で順調な回復ぶりを話され質疑に応じて下さった。

控室でも舞台でも明るくにこやかに裏表の全く無い中畑先生。
サインや写真を頼まれても笑顔で全て終わるまで対応されていた。
サービス精神旺盛な人柄も素晴らしいスポーツマンです。
吉田氏も中畑氏の話が脱線しそうになると上手に修正して下さり、さすがアナウンサーだと感心しました。
楽しい90分があっという間に過ぎてしまいました。

2016年10月 秋川リサ先生の講演を聴いてきました

2016年10月 秋川リサ先生の講演を聴いてきました

10月に神奈川県内で、長年の弊社お得意様ご主催で、秋川リサ先生「元気なうちに家族で話し合おう介護について」と題しての講演を聴いてきました。

開口一番「なぜ私が介護の話なのか?」
82歳で認知症を患い89歳で今年(2016年)6月に亡くなった母。
在宅介護2年、施設での介護5年。
長生きするのも大変だとつくづく思う。

認知症の分類、症状など。
認知症の母が近所に買い物に行くと、「娘がご飯を食べさせてくれないの」と言っていた、15歳から働いて母を養ってきたのに。

また、昔から好きな男性ができると家を出て行き、最後は78歳の時に82歳の男性を好きになって家を出て事実婚をしたこともある自由奔放な母。
そして82歳で認知症になり戻ってきた。
当初「要介護1」、6か月後「要介護3」
「私は誰?」、「ここはどこ?」、「あなたは誰」となっていく。
母がそうなるまでは他人事だった。

さらに、トイレが間に合わなくなり汚物が部屋にあり訊くと犬のせいにする。
お茶を淹れようとやかんを火にかけるが空焚きする。
ガスの元栓を締めると新聞紙丸めて火を付ける。
昼夜の観念が無くなり、夜中の通販番組を見て5分おきに注文。
商品が大量に届き、通販会社に電話し「同じ人が同じものを同じ日に何度も注文しておかしいと思わないのですか?」と質すと「大変お気に召して頂いたものと・・・」と言われたこともある。

「あの人寝たきりのおじいちゃん置いて、よくこんなとこ(カルチャーセンター)に来られるわよね?ひどいわね」と言う人が時々いるが、大きなお世話。
介護はいつ終わるかわからない。
する方も大変。

施設の種類、現状について。

日頃の近所付き合いがとても大事
認知症JR事故の最高裁判決(逆転無罪)にも触れ、徘徊されると家族は24時間態勢で見張ることはできない

特養は入居まで早くて4年と言われている。

これでは介護する側が先に参ってしまう。
すると有料老人ホーム。
だいたい月に25万円程度掛かるとすると、一人っ子同士が結婚しそれぞれの両親が入所すると月額約100万円、とても負担できる金額ではない。
いかに将来が不安か。
これでは子供にお願いできない。

「どう死ぬか」ということは「どう生きるか」ということ

母が亡くなった時精一杯のことはしたという自負があったので、正直な気持ちホッとした。

母が最期に認知症という現実を見せてくれた。
実の親子だから面倒臭いし、別れられない。
残念なことだがお金は掛かるという現実がある。

母の死後、縁あって対談した施設の社長さんから「働いてみますか?」と言って頂き、介護施設で週3日、行けない日もあるが東京都の最低時給で働かせてもらっている
なぜ働くか?
私の介護は良かったのか?本当の介護って何だろう?ということを知りたくなったから。
来春までにちゃんと資格を取ろうと勉強している。
介護は究極のサービス業だが、介護士の給料が低過ぎて唖然とする。
もう少し何とかならないのかと思う。
入居者やそのご家族も彼らに笑顔でありがとうと言ってくれるだけでどれだけ救われることか

元気なうちに若い人たちと仲良くして新しいものにも興味を持って飛び付くことが大切
SNSをやっていると徘徊された時に捜せて便利ということもある。

息子が「お母さんが認知症になったらどうすればいいんだろう?」と言ったら、娘が「お金だけ出して口出さなきゃいいのよ」と。

施設は決して姥捨て山ではないので、元気なうちに自分で決めておくこと。
そしてどうせ施設に入るのなら感謝して楽しみましょう、と括られた。

毎年介護離職者が10万人と言われている昨今、介護は他人事ではなく誰しも自分が「する側」となり、その後は「される側」になる可能性があるという認識を持ち、仕事を辞めずに済むように社会も会社も受け入れ、態勢を整えることが必要だと考えさせられた。
また、今回の聴衆の方々は「される側」に近い年齢層だったが、施設で働いている方や「する側」のご家族向けの視点での内容のものもあり、介護の実体験だけではなく施設で現在も勤務し、介護をライフワークと公言しておられる秋川リサ先生のお話は愛と優しさいっぱいの毒舌ではありますが、自身をさらけ出されるのでなぜか憎めない心温まる講演です。
知名度に照らしコスパも申し分ありません。
リアル介護の話を聴いてみませんか?

2016年10月 福岡政行先生の講演を聴いてきました

2016年10月 福岡政行先生の講演を聴いてきました

10月に都内ホテルで、弊社お客様ご主催で、福岡政行先生「今後の政治と経済の動きをよむ」と題しての講演を聴いてきました。

前日九州で羽田空港からご自宅経由で会場入りされ、講演終了後は翌朝の授業の為仙台入りされるという多忙な中にもかかわらず懇親会にもご出席頂きました。
会場のホテルは学生時代の思い出がたくさん詰まった懐かしい所だという話を控室でされ、主催者の皆さんとも和気あいあいと談笑、そして記念撮影とにこやかにご対応下さいました。

また、大昔の話ですが私の友人2人の家庭教師が福岡先生だったこともあり、妙に親近感が湧きその話で盛り上がりました。

講演の方はまず北方領土小池百合子都知事、天皇陛下の生前退位の話。

引き続き米国大統領選アベノミクスデフレ蓮舫氏松下政経塾のこと。

さらに安倍総理後の候補について。

その中の一人、小泉進次郎氏と東北の仮設住宅の集会所で会った時のエピソード。
手土産も持たず、出してもらったお茶を飲み、おばあちゃんからおやつを貰って食べて一礼して帰る。
他の議員はこれ見よがしにたくさん手土産持って渡すところを秘書が写真撮影し、わずか10分の滞在、翌日にはホームページにUPして宣伝するが彼は一切しない。
そこが良い所。

他党の政治家の話、米国、ロシア、中国等との外交について。
安倍総理にはブレーンがいない。
田中角栄氏には“鉈”の金丸信氏、“剃刀後藤田”と言われた後藤田正晴氏という懐刀がいて意見を聞いた。

2025年問題
団塊シルバーが後期高齢者になる約10年後。
長生きはして欲しいが「長寿」は「長苦」という感覚に持って行かなければならないかもしれない。
約10年後に消費税は20%まで行くだろう。
竹下登氏が総理の時に「消費税が10%になった時に軽減税率を導入することになっている」と言われ、政治とはそういうものなのだと思った。

東京と名古屋圏以外は人口も減少しやっていけなくなるだろう。
人口減が進む以上、5万人以下の市町村の合併を進め、効率的に運営するしかない。

AI(人工知能)、IoT、ICTを活用し、省力、省人化しなければならない。
つい先日も「地方の金融機関は無くなる」という記事が複数同時に出た。

今の政治家には未来志向がない
ユニクロの柳井正氏「NEXT ONE」、「NEXT SOMETHING」ですと言っていた。
10数年前、城山三郎先生が講演の中で「時代を生き抜いてきた人間は高感度のアンテナで時代の周波数を見極めている」と話されていた。

福岡先生は現在、名前だけで何もしない名誉教授“である”ことよりも、学生に教える(“する”)ことを選択され、結果を出せるリーダー育成に取り組まれておられる。
結論、「“である”価値より“する”価値」と結ばれた。

講演では実名を出され過激に聞こえてしまうことを言われるので、詳細は書けませんでしたがご容赦頂けますと幸いです。

著名人、著名企業、役人など政治、経済関係に留まらず友人・知人・後輩・教え子・お弟子さんが多岐に渡り重要な地位を占める多数の人脈を持ち、ボランティアにも注力され、空手三段で、「可愛くて仕方がない」9・6・3歳のお孫さんたちの良き“ジイジ”の福岡先生でした。

2016年9月 伊藤元重先生の講演を聴いてきました

2016年9月 伊藤元重先生の講演を聴いてきました

都内で、長年の弊社お客様ご主催で、伊藤元重先生「日本経済と不動産業」と題しての講演を聴いてきました。

まずはわかり易く日経平均、株、マイナス金利、日銀、国債などの解説や見通しに加えて聴衆が不動産関係の方々であることからJ-REITについても。

量的緩和を減らしマイナス金利をもう少しやるのではないか。
経済の浮上を待つために超低金利は当分続くだろう。

不動産業界においては伸びるものとそうでないものとが顕著になるだろう。

成長戦略で最も大事なことはグローバル化

改造したばかりの内閣での注目の大臣について。

OECD、先進国35か国の中で、日本の女性が最も睡眠時間が短い
ドイツは日本より労働時間が2割少なく働き、5割も労働生産性が高い
これからの日本はワークライフバランスを進め、女性とシニアに働いてもらい、欧米の男性の半分しか家事をやらない日本の男は、もっと家事をしなければならない

今後、企業の最大のポイントは「人」(の確保)
毎年1%ずつ労働人口は減っていく。
つまり目安として年3%昇給ができないと人の確保は難しいということ。

付加価値労働生産性を上げない企業は生き残れないだろう。

最後に世の中を一番変える動きについて。
これはAI(人工知能)、IoT、ビッグデータなどなど。
凄まじい勢いで変わっていく。

一例だが、情報が「金融」を変えてしまう。
世界最大の銀行、JPモルガンがインタビューにこう答えている。

5年後の最大のライバルはゴールドマンサックスや三井住友などの既存金融機関ではなく、グーグルだ、と。
そしてアップルだ、とも。

フィンテックにより金融が大きく変わっていく。
金融機関以外が顧客の信用情報に基づき独自にお金を貸すようになる。

その他にもものづくりや医療なども情報化の進化により変わる。

最先端の情報をアルファ碁の話や10年後にはスマホに日本語で話し掛けると英語になるといった「完璧な翻訳機」が出現するといった話を交え、わかり易く興味を持ってもらえるように、これから来るであろう近未来の様子が目に浮かぶ内容で、さすがにあらゆる分野に精通され、飽きる事の無い90分でした。

不動産業界に特化した内容も織り込んで頂き主催者の方々にも大変喜んで頂けました。

2016/9/2 朝原宜治先生の講演を聴いてきました

2016/9/2 朝原宜治先生の講演を聴いてきました

9月2日に都内で、弊社お得意様ご主催で、朝原宜治先生「夢を追いかけて ~諦めなければ夢は叶う~」と題しての講演を聴いてきました。

リオ五輪の余韻タップリのタイムリーなタイミングで、正にベストチョイスの講師でした。

控室で朝原先生とお話しする中で、「今100mをどのくらいのタイムで走れますか?」と訊ねましたら「12秒台でしょう。ただ一週間トレーニングすれば11秒台、6か月トレーニングすれば10秒台は出せます」と自信満々に答えられ驚きました。
朝原先生は既に44歳ですから。
ただ最後に笑顔で「6か月もトレーニングできませんけどね」と言われたので少し安心しました。

さて講演の方は、まずリオのリレーの話から。
リオの400mリレーチームが銀メダルを獲得。

北京の時は先輩たちの思いや技術や経験を引き継いで、ここ(銅メダル)まで我々は来たということを、本音でメンバー皆が言っていた。

リオにもバトンを繋ぐために様々なことが引き継がれてきている。

リレーはタイムが速い者だけ集めれば良いというものではない
第一走者からアンカーまでそれぞれ特徴があり、それを上手く活かせたら良いパフォーマンスに繋がる。
北京とリオでのそれぞれのメンバーの役割と特徴の解説。

今年のリレーメンバーはサブがとても充実していた。
怪我をしたり調子が悪いと代えられるかもしれないという危機感をメンバー同士が持ち、良い緊張感の中でオリンピックを迎えられた。

現在のリレーチームはもの凄い良いチームになりつつあり、若手もどんどん育ってきており2020年の東京が楽しみ。
もしかしたら金メダルが現実になるかもしれないくらい。

「バトンパスについてはリオ五輪期間中にTVで100回くらい説明したので割愛します」とウケを取られ、日本チームのバトンパスの何が凄かったかを具体的に解説。
また、自身のロンドンの時との違いも。

リレーでのバトンは1走は右手、2走は左手、3走は右手、4走は左手に持ったままというのが主流。
アンカーのウサイン・ボルト選手だけはバトンを持ち替える。
その方が走り易いかららしいが、本来はタイムロスに繋がる無駄な動き。

アメリカチームはバトンパスが超下手。
北京五輪の時にはバトンを落とし失格に。
何とこの時のアメリカチーム(男女ともに)のゼッケンが手書き。
オリンピックではあり得ないこと。

帰国後、日本のリレーチームが外国人記者クラブに招かれた時、この4人で東京オリンピックに出場する確率を訊かれ「40%」と答えていた。
4年後に皆いるのかと思うと、そんなもんだと思う。
選考会で選ばれた者だけ、つまり結果を出さなければならない。
怪我もある。
ピークも過ぎるかもしれない。

ロンドン以降様々なデータがリレーにおいても取られ、選手同士の感覚の擦り合わせからデータ(数字や映像)活用へと変わってきている

桐生選手が10.10秒で走った時、追い風2.0m、60m付近で最高速11.51m/秒
どんな選手も最高速から落ちながらゴールする。
9秒台を出すには計算上最高速11.7m/秒以上が必要と言われている。
ウサイン・ボルト選手70m付近で最高速12.4m/秒、ほぼそのままの毎秒12mオーバーでゴールする。
桁外れ。

朝原先生は中学時代ハンドボールの選手。
この時にセルフマネージメントでは到底できない練習でメンタルな部分含めて成長できたが、燃え尽き症候群でハンドボールの「ハ」の字を聞くのも嫌なぐらい大嫌いになり、高校で陸上を始めた。

徐々に力を付けていきインカレで優勝できればとは思ったが、オリンピックまでは全く考えていなかった。

夢のまた夢だったが、当時知り合った奥野史子氏(現在の奥様)は既に大学時代には世界レベルで、2年生の時にバルセロナ五輪代表に選出された。

お付き合いしていたので、「一緒にオリンピックに行こう」と言われ、行けないんじゃないかと思いつつ「よし、絶対に行こう」と答えたが、内心「ちょっと、これ、オリンピックなんて・・・」と思っていたら予想通り彼女だけ出場。
結果彼女は銅メダルを2つも獲った。
そして帰国後はデートもままならないほど彼女のスケジュールが取れなくなり、親戚が増え、大変なことになり衝撃だった。
オリンピックでメダルを獲ることは凄いことなんだと。

オリンピックに出たい、そして今しかできないことに覚悟を決めて取り組もうと全力投球した。
彼女はそのキッカケになった。

大阪ガスに就職でき、プロ第一号のように扱ってくれたおかげで、ドイツ留学もさせてもらった。

1999年に左足くるぶしを疲労骨折という挫折も味わったが、およそ1年後のシドニー五輪に出場できた。
その後渡米し、自分よりもはるか上の選手たちとも一緒に練習。
その中で敵わないと思う反面、もしかしたらできるかもという感触や戦う方法も得られた環境だった。

そしてアテネ五輪、大阪の世界陸上。
大阪の世界陸上では大阪ガスの社員2000人の大応援団。

家族や会社など背負うべきものがあったことが人間的にも成長できた要因のひとつ。

そして36歳で迎えた自身最後の北京五輪で素晴らしいリレーメンバーと巡り合え、結果を残せたことはとても幸運なことだと思っている。

リレーは決勝に常連のように残りメダルを獲れるようになってきた。
100mはまだ決勝に進んだことはないが、リオでは山縣選手は決勝まであと40cm、100分の4秒の所まで来た。
何をし、どう戦うか。
2020年の東京オリンピックがとても楽しみ。
自分自身が日本の為に何ができるのかを考えながら。

さすがにメダリスト。
説得力はハンパありません。
やってやれないことはないと思わせてくれる前向きになれる内容です。
陸上ファンには堪らない。
そうでない方もマネジメントやモチベーションで多々参考になります。
また、高校生以下の若い人や子供たちには得るものが大きな内容ですし、「走り方教室」的なものもやっておられます。
実際に走りを見せることもあるようです。

 

2016/8/24 田中雅美先生の講演を聴いてきました

2016/8/24 田中雅美先生の講演を聴いてきました

8月24日に都内で長きにわたる弊社お得意様ご主催で、田中雅美先生「オリンピックと私 ~競技人生で培われた人間力~」と題しての講演を聴いてきました。

リオ五輪後初の講演だったそうです。

映像(DVD)で引退までと引退後~現在の講師紹介で講演スタート。

最初のオリンピックが17歳で出場した1996年アトランタ、2度目が2000年シドニー、3度目がアテネに出場し、現役引退。

今回のリオの金メダル第一号が萩野公介選手。
事前の解説で萩野選手か瀬戸選手が金メダルを獲る確率100%と公言
普段から二人を見続けてきたからこそ、勇気は要ったが言えたことだったということが、分析を聞いて良く分かった。

松田丈志選手が出場し見事銅メダルを獲得した自由形800mリレーの秘話。

萩野選手の凄さ、泡が立たない手の入水の仕方、「足を入れる」とは?など様々な話をわかり易く。

田中雅美先生の17歳で初めてのアトランタ五輪での成績は、200m平泳ぎに出場し、自己ベストを出して5位だった。

オリンピックでメダルを獲るには80%の力で戦える力が無いとそこでは戦えないと言われてきた。
体操の白井健三選手は戦前予想で床の金メダルの確率200%と言われていたが、結果は4位。
普通にできていれば誰も追い付けないほどの実力を持っていてもメダルが獲れなかった。
それほど難しい。

オリンピックの水泳会場には2万人の観客、その歓声がどのように選手に伝わるかというと、音がブルブルと振動となって伝わり、ピリピリ、ジリジリ感じる。
独特の雰囲気、空気感の中で戦う難しさ、厳しさ。
自己ベストを出してもメダルに届かないということは、もっと努力し戦える気力、実力を付けなければいけないと思った

そして改めてメダルを目指し、臨んだ2000年シドニーオリンピック。
非常に苦しい、辛い大会だった。

代表選考レースで、予選、準決勝、決勝と全て日本記録を更新し、決勝のタイムは当時歴代2位のタイムでメダル確実と言われた。
すると環境は一変し、思うように体が動かず、練習ができない状態に。
更には「努力は無意味」「水泳なんて楽しくない」と思うほどだった。

その結果個人種目は100m6位、200m7位。
そして最後はメドレーリレー。
戦前予想は持ちタイムから日本かドイツのどちらかが3位に入るだろうというものだった。
リレー直前に大西順子先輩から掛けて貰った言葉
「この4人なら絶対にメダル獲れるから、雅美は自信持って泳ぎなさい」と。
「努力は無意味」「水泳なんて楽しくない」と思っていたのが嘘のように「このメンバーだったらやれる」と心底思えた。

このレースの模様と表彰式をノーカット映像で。

0.3秒差でドイツに勝ち、銅メダル。
仲間のお蔭で獲ることができた銅メダル、感謝の思いで一杯。

リオのメダルはもの凄く大きくて重たいと選手たちが言っていたが、規定上限の500gもあった。
田中先生にとってはとても重かったが、シドニーのメダルは半分以下の230gしかない。
聴衆の皆さんに実際に持って触って首に掛けてオリンピックを少しでも感じて頂きたいと実物の銅メダルを持参、会場内を回しすべての方に手に取って頂いた。
中には首に掛け写真を撮りあう方も。

コーチ、両親、トレーナー、チームメイト、応援して下さった全ての方々に支えられた結果が銅メダル

陸上リレーのバトンパスが重要なことと同じで、水泳も“バトン”(タッチ)が大切
全チーム中、合計タイムが1位(一番少ないタイム)だった。

帰国し多くの方々から「おめでとう」「頑張ったね」などと声を掛けて頂き、手紙を頂いたりした。
また、リレーメンバーだった中村真衣さんとディズニーランドに行った時、ミッキーマウスと写真を撮ろうと思ったら、ミッキーが泳ぐ格好をしてくれ、「覚えてくれていたんだ」ととても嬉しかった。

シドニーでは個人でのメダルは獲れず悔しい思いをした。
水泳を辞めようと思ったが、もう一度自分が頑張ったと思いたいという気持ちと応援して下さった方々へ恩返しをしたいとの思いから、もう一回アテネへ行きたいと思った。

練習がきつすぎてゴーグルに自分の涙が溜まるほど。
でもそのきつさよりも辛いことがある。
モチベーションを保ち続けるといったメンタルの部分。
自分を信じ続けることは凄く大変

リオでも金藤選手が何度も辞めようと思ったが、続けてこられたのは加藤コーチのお蔭だと言っていた。
加藤コーチは「お前は絶対にやれる」と言い続けてくれた。

自分自身が自分に自信を持てなくなる時があり、何度も挫折してきたことで、オリンピックにもう行けないのでは、メダルも獲れないのではないかと思う自分を信じ続けてプールに向かう大変さ。
そういう時に支えになってくれる周りの人の大切さ。

二つの言葉
一つ目はアテネの1年前にもうダメだと思い水泳を辞めたいと掛けた電話で母に泣きながら言われた言葉
「親としては一生懸命やったねと言ってあげたいけど、アテネまでやると自分で決めたことは最後まで諦めずに続けなさい」と電話を切られた。
要は自分で決めたことは諦めてはいけないのだ、ということ。

二つ目はアメリカでトレーニングをし、タイムに一喜一憂していた時に出会ったコーチの言葉。
「次の大会のレースが終わった後タイム(電光掲示板)を見るな。まず自分の心に聞け、100%でトライできたか?できたと思ってから見ろ。」
調子は日々変わるが、一番大事なことは毎日の練習で自分が100%トライできたかということで、タイムが速い遅いではないということを言わんとしていたのだと気付かされた。
この100%を日々重ねることなのだと。

こうして迎えたアテネ。
100mは準決勝敗退。
200mは4位。
3位の選手との差は0.05秒。
距離にして約2cm。
小さいけれど大きな差。
たったこれだけの差でメダリストになれなかった。

帰国してまた厳しい現実。
成田空港でメダリストとそれ以外で分けられ、メダリストだけ記者会見場へ。

引退して12年、メダルコンプレックスが確かにある
でも、あれをすれば獲れたのにということが無い。
スタート台に立った時にやり残したことが一つも思い浮かばなかった。
悔しいし欲しかったし獲りたかったと思うけれど、後悔していない。
そう思った時に、泳ぎ切ったなと引退をすんなり受け入れることができた。
何て素晴らしい水泳人生だったと思う。
個人のメダルは叶わなかったが、人生においてとても大切な多くのものを得られたり、学ばせてもらったと思っている。

子供たちに伝えてあげるとしたら、自分の夢や目標は自分自身で決めて欲しい
そして自分で決めたことは、自分に負けずに挑戦し続けて欲しい、と。

メダルの色ではなく、選手がオリンピックという舞台で自分の力を出し切ることが一番大事で、その為のサポートや応援ということなのではないかと思う。

リオ五輪の総括をされ、テレビ朝日「グッドモーニング」水曜日レギュラーなので是非ご覧下さいという告知も忘れずにされた。

最後に質問を受けられ、丁寧にわかり易く答えられ、スイマーでなければ知らないであろう水泳トリビアも入れて下さり興味深く楽しく聴くことができました。

一生懸命さが伝わるアスリートらしい爽快感が余韻として残る大変良い講演で、田中先生はとても礼儀正しく、爽やかでチャーミングで素敵な大人のレディでした。

2016/9/29 弘兼憲史先生の講演を聴いてきました

2016/9/29 弘兼憲史先生の講演を聴いてきました

9月29日に名古屋で弊社長年のお客様ご主催で、弘兼憲史先生「島耕作から見る日本の未来像」と題しての70分講演を聴いてきました。

「島耕作」の連載を始めて33年目。
笑顔で広島東洋カープファンを公言され、相撲のことなどざっくばらんに話され、会場も笑いに包まれてのスタート。

高齢化社会の話をされるつもりで準備してこられたが、新幹線の社内誌「Wedge」に尖閣のことが掲載されていて、急遽内容を変更。

2012年に島耕作で中国が尖閣を手に入れようとしたらどういう手段を取って来るか、そして魚釣島に上陸したらというシミュレーションなどを詳細に描いたら、正にその通りになり編集者と一緒に小さくガッツポーズ
半端ない取材力、正確さに脱帽です。
リアルに細かい描写で想像できる光景を言葉で表現
さすがです。

また、日本は一国平和主義では絶対にいけない、その為には「集団的自衛権」が必要と言いたかったから「加治隆介の議」を描き始めたが、1992年当時は知られていなかった。
「集団的自衛権」と「集団安全保障」とは全くの別物だが、区別がつかなかった時代だった。
「集団的自衛権」と「集団安全保障」の違いも分かりやすく解説。
日本は戦後戦争に巻き込まれなかったのは、憲法9条があったからと日本人は思い込みをしているようだが、日本以外にも同じような憲法を持っている国々があちこちにあるのに、なぜ日本は平和でこられたのか?
間違いなく日米安保条約があったからだと言わざるを得ない。
だから他国から侵略されなかったのは紛れもない事実。
中国からそうされなかったのもそう。

アメリカのプレゼンスが無くなればどうなるかはフィリピンを見れば明らか。

ソフトパワー(話し合い)で解決できることは大賛成だしベストだと思うし、そういう時代が来ることを切に望むが現状は無理。

日本が今考え、今やるべきこと、これからすべきことを、例え話も交えはっきりと示された。

最後の10分余りでご用意してこられた高齢化社会の話をされた。

多くの資料、詳細なデータとその分析に基づき、現状を把握し、未来を予測し、今何をして将来に備え、先々の変化にどのように対応しなければならないかなど、講演内容全てに通じる弘兼先生のポリシーが滲み出ている有意義な講演でした。

大変失礼ながら、とても69歳には見えない若々しく素敵な弘兼先生。
柔らかな外見とは裏腹に硬派な面もお持ちで、主義主張がはっきりしておられ、古臭い言い方ですが、気骨ある日本男児という印象を強く受けました。

講演は多くても年に数本が限度。

それも伝手が原則。
さらに今回のように東京を離れることは至難。
従いまして当然弊社のHPで大っぴらに講師としてご案内はできませんし、どうしても弘兼先生でなければと仰って下さるご主催以外はお断りさせて頂いておりますのが現状です。
今回の講演につきましては特別に弊社HPへの掲載をご快諾下さいました。

 

2016/6/3 山本昌邦先生の講演を聴いてきました

2016/6/3 山本昌邦先生の講演を聴いてきました

都内で弊社お客様ご主催の講演会で山本昌邦先生「リーダーの条件 ~一流選手から学ぶ目標達成へのプロセス~」と題しての講演を聴いてきました。

前半は一流選手たちがどんな特徴を持ち、どのように成長していったか、を。
“ハーフタイム”ではワールドカップなどの映像を。
後半は一流選手たちをどう纏め、どのように使い、難しい局面を打破し、勝利に導いたかというマネージメントについて。

ワールドカップからクイズ形式で出題。(おそらく聴衆との一体感の演出のひとつと思われます)
トリビア的知識も。

パスが一番下手なチームがイングランドプレミアリーグでなぜ優勝できたか?という岡崎慎司選手所属のレスターの話題も。

インテル・ミラノの長友佑都選手は中学まで愛媛で、高校は東福岡、早くプロになりたかったがどこからも声が掛からず、仕方なく大学へ進学。
そこでもサッカーをさせてもらえず、スタンドで応援の日々。
これではダメだと練習に没頭し、在学中にFC東京へ入団し、現在がある。

ACミランの本田圭佑選手はガンバ大阪の中学のジュニアユースに在籍していたが、プロでは通用しないと言われ、高校のジュニアユースには入れてもらえなかったので仕方なく星稜高校へ行き雪塗れになり一生懸命練習し、高校選手権でそこそこ活躍したので、名古屋グランパスから声が掛かり今がある。
15歳で大きな挫折を味わい、悔し涙を流したと思う。

横浜マリノスの中村俊輔選手は横浜マリノスの中学のジュニアユースに在籍していたが本田選手同様高校のジュニアユースには上がれず、仕方なく桐光学園高校に進学し、高校選手権で準優勝。
U20の代表監督だった時に代表に呼び、今も当然付き合いがある。

彼らの周りには高校のユースに上がった連中が山のようにいたが、皆どこへ行ったのか?
「努力する才能」が無い人は残念ながら無理
一流選手に共通する特徴「負けず嫌い」「自分の意思でやる」「人の話が聞ける」「高い目標を持っている」こと。
つまり自分の考えることや持ってる能力程度で、言われたことだけを一生懸命やって世界のトップレベルに行けるほど簡単な世界ではない。

折れても折れても立ち上がって来る本田選手のような良い習慣を若い時に身に付けた人が強い
サッカーが上手いだけでは通用しない。

リーダーは目に見えない意欲や情熱(といったメンタルな部分)が見えるようにならないと務まらない。

Jリーグで2回得点王にもなった中山雅史氏
ギネス記録も2つ持っている。
1つは「試合開始5分未満で4点取った」というもの。
2つめは「4試合連続ハットトリック」という記録。
サッカーは超下手、見せられる技術は何もないのでサッカー教室には呼べない。

実はサッカーのゴールの7割はワンタッチシュート
ワールドカップ ブラジル大会では全ゴール171点の内92点がペナルティエリア内でのワンタッチシュート。
いかにマークを外しそれができるかが肝心。
中山選手は技術は無いがマークを外せば独壇場。

「技術・戦術・体力」の中の「技術」は100点満点で20点だが、彼は努力の天才
初めて出場したフランスのワールドカップで日本の歴史的初ゴールも中山選手。
この時彼の足は骨折していたが、「まだできます」と言ってやった選手。
彼は止めさせないと死ぬまでプレーする選手。
精神的限界と肉体的限界がほぼイコールまでできる選手。
メンタリティは人の10倍くらいある。
サッカー選手には特に大事。

人を育てない限り勝利に近道は無い
少なくとも10年後を見据え、人を育てないと勝てるチームは作れない。
2002年ワールドカップ直前、スペインでの合宿中、30人から23人に絞る段階で選手たちに戦う魂が無い、誰か持ってる選手はいないのか?とトルシエ監督から言われ、当時コーチだった山本先生は「います、中山(雅史)、秋田(豊)が」と答え、中山選手に電話。
山本先生「もしもし、ゴンちゃん」
中山選手「山本さん、俺電話待ってましたよ」

山本先生「(まだ諦めてないのかよ、1年半も代表に呼ばれてないのにと思いつつ)調子はどうだ?」
中山選手「僕ですか、常に絶好調に決まってるじゃないですか」
山本先生「実はこうこうでこうなってる。力を貸してくれるか?」
中山選手「もちろん行きますよ」

山本先生「試合で結果出せよ」
そして結果を出し、両名が招集された。

そして迎えた埼玉スタジアムでのワールドカップ初戦を勝利した。

年齢的な衰えで1年以上候補からも外れていた、パフォーマンスから言えば22番目と23番目の選手が、チームの勝利の為に、監督コーチに何も言われずとも自分で考え、とてつもなく高いモチベーションで、若い選手を支え、相談に乗り、叱咤激励し、チームの中(現場)のリーダーの役割を担ってくれた。

永年選手たちに言い続けてきたこと
勝つことが大切ではない。
諦めないことが大切なんだ。
自分がしたことに絶対に満足しないことが大切なんだ。
気を抜かないことが大切なんだ。
自分に期待してくれている人をがっかりさせないことが大切なんだ。

もちろん勝つためにプレーするが、負けた時にはチャンピオンが負けた時のように堂々としていればいい。
相手がズルいことをしたとか、審判が間違えたとか、ピッチが良くなかったからとか、風が吹いたとか、監督がアホだからとか言い訳せず、自分に何が足りなかったか、勝利する為には何ができたのだろうか?を考え、次にぶつける
これがスポーツの良い所。
またチャレンジするチャンスがあるということ。

スポーツは教育的なこと、例えば挫折、みじめさ、苦しさ、達成感、喜びなどほとんど全てを学べる
負けて諦める人には何もない。
負けても諦めないことが勝利の始まり、希望の始まり
どんなに才能があっても諦めたら終わり。
大切なのは勝つことではなく、挑戦し続けること

リーダーに必要なもの
①個性を生かすこと。
②当然専門知識を持っていること。
③指導能力、説明が上手いことではなく説得できること。
③が最も大事。
本人が納得し、自分の意思でやれば大抵の目標は達成できる。

伝えたつもりが伝わってなければ意味は無い。
だから「伝わり」にこだわる。
感情に結び付かないマネージメントは絵に描いた餅。
やるのは人間。

試合前のマネージメント。
ストレスやプレッシャーからどうプレーヤーを守れるか、助けられるかを一番に、ポジティブな指標を与え、自分自身のパフォーマンスとチームへの貢献を考えさせ、むやみに結果のことを言わず、その人が長所、得意なことを認識して自信が持てるように配慮する。

話し掛ける際の主語、「君たち」と「我々」の使い方の具体例。
先発とサブが一体感を生み出すミーティングの手法。
ハーフタイムですべきこと。

偉大なリーダーは選手たちの感情を揺さぶり、情熱に火を付け、秘められた資質を呼び覚ます
カリスマリーダーは共感を呼ぶ力を持っている

レスターのように選手たちの良い所を最大限に引き出せる監督が良い監督。

私も自身に投影し、認識新たに「頂ける」部分は頂き、今後に是非活かしたいと思いました。

実は山本先生の講演を聴くのは2度目で、前回よりも格段に腕を上げられました。(山本先生、生意気言ってすみません)
しっかりとした構成、よどみなく流れる話しぶり、内容もわかり易く、有名選手のエピソードも交え、飽きさせず最後の質疑まで丁寧に答えて頂き、サッカーファンはもちろん、そうでない方にも意義深い講演だと思います。

もちろん人柄も折り紙付きで、典型的なスポーツマンで、明るく笑顔を絶やさず、素敵な紳士です。
懇親会にもお時間の許す限りご参加下さいました。
自信を持ってお薦めできる講師のお一人です。

2016/9/8 宮家邦彦先生の講演を聴いてきました

2016/9/8 宮家邦彦先生の講演を聴いてきました

神奈川県内で弊社お得意様ご主催の講演会で宮家邦彦先生「地政学と日本の大戦略」と題しての講演を聴いてきました。
当日は台風接近に伴い暴風雨という予報で、電車の遅延など交通機関への影響が心配されましたが、ほとんど影響無く、宮家先生もテレビ朝日の「グッドモーニング」出演後、直接ハイヤーにてお入り頂けましたので、思いのほか早く到着されました。
おしゃれなハットにサングラスといういでたちで、背も高くとてもダンディな印象で、物腰も柔らかく、いかにも紳士で優しい先生です。
先生は横浜三ツ沢のご出身。
外務省ではアラビア専門(アラビア語)だったそうです。
今年に入り「地政学リスク(地政学的脆弱性)」という聞き慣れない言葉が今年何度か新聞に関連記事が出た。
ロシアがなぜクリミアへ侵攻したか? 経済的利益を超える地政学的利益が欲しかったから
(地政学的脆弱性の例)
イラク  ティクリートは肥沃な真っ平な土地で自然の要塞が無い。 北からトルコ、東からペルシャ、西からギリシャ・ローマ、南からベドウィン。イラク戦争後2011にオバマが米軍を撤退させたことでイラクに「力の真空」地域ができてしまった。
ロシア  北からは無いが東からフン族・モンゴル・中国など、南からムスリム、西からはヒトラーやナポレオン。 自然の要塞は無いがロシア人は敵と戦った。
南シナ海(フィリピン)  1991/4ピナツボ火山爆発。 1991/11米軍基地(クラークとスービック)返還。 1992/2中国が領海法制定。 基地の返還で南シナ海に「力の真空」が生まれた。
2014に中国船にベトナム船が水を掛け、中国もそれに応酬、これが本当の「水掛け論」と笑いを取られた。(ちょっと驚きましたが外交官はユーモアが無ければいけないのだなと納得)
複数の重大クライシスが起きた場合、米はアジアではなく中東へ行く。
どうするか?
英国の地図を逆さまにすると日本とそっくりになる。
「島国同盟」のすすめ
日米同盟に加えオーストラリア、シンガポール、フィリピン、インドネシアと組み、大陸と健全な距離を保ちつつシーレーンを維持する。
今日本が中国に求むべきこと ①東アジア伝統文化と西洋文明の融合 ②巨大帝国ではなく、国民国家の志向 ③力による現状変更を止め国際社会への関与 そのために日本が行うべきこと
「伝統」を守るには「変化」が必要。 「普遍的価値」で「保守」を「進化」させれば日本は生き延びる伝統的文化・価値と普遍性・合理性・国際性との融合こそが東アジアにおける日本の存在価値、と括られ、いくつか質問を受け時間一杯丁寧にお答え下さいました。
日本国とその子孫たちのために我々大人が今何をしなければならないのか、ということを私のような凡人には思いも付かない視点からわかり易く明確に提示され、内容の濃い視野が広がる素晴らしい講演でした。

2016/05/31 益川敏英先生と菊田あや子先生の対談形式での講演を聴いてきました

2016/05/31 益川敏英先生と菊田あや子先生の対談形式での講演を聴いてきました

千葉で長年の弊社お得意様ご主催の講演会で「科学と社会」と題しての益川敏英先生菊田あや子先生の対談形式での講演を聴いてきました。

益川敏英先生はご存知の通り2008年にノーベル物理学賞を受賞された物理学者で御年76歳(2016/5現在)。
高齢で体調を崩されたこともありご今回は着席対談形式での講演会となりました。
また、益川先生のお仕事は講演がメインではなく回数があまりできないため多くのご依頼のご要望に沿えないことが多いこと、体調面でのご心配などもあり弊社HPへは依頼殺到防止の観点から掲載を見合わせておりますが、今回の講演レポートの掲載はご許可下さいました。

どんな子供だったか?
小学生の時に宿題を全くせず、保護者面談で母親が「家で全然勉強をしないので毎日宿題を出してもらえないか」と先生に言うと「いえ、毎日宿題を出していますが益川君がやって来ないんです」と言われた。

勉強はできたか?
決してそんなことはなく、たまたま錯覚して算数が好きなんだと思いできるようになっただけ。

大学受験はどうだったか?
英語が全くできなかったが数学は満点で、名古屋大学がこの学生の入学を認めるべきかどうかという会議が開かれ、辛うじて認めてもらい何とか入学できた。
当時の名古屋大学だからできたことで今なら間違いなく不合格だった。

ノーベル賞授賞式のスピーチの冒頭で「I’m sorry, I can’t speak English.」と言われたが、英語はどれくらいできるのか?
書く、話すは全くと言っていいほどできないが、読むことはできる。
科学用語は世界共通なので当然英語。
従って英語の専門書なら書いてあることの意味は理解できる。
とはいえ英語はできないよりできるに越したことはないとも。

もちろんノーベル賞受賞秘話やクォーク(お分かりにならない方はウィキで調べて下さい)、恩師についてのお話に笑えるエピソードもあり、驚いたことに林家木久扇師匠張りの駄洒落まで。

最後に生徒さんたちからの質問にも時間一杯丁寧に答えられ、エールを送って下さいました。

菊田先生が聴衆が聞きたいだろうなと思う質問を適切にされ、ちょっと難しいかなという内容の時にはわかり易く要約したりと、さすがにフリーアナだけあって非の打ち所が無い素晴らしい進行でした。

当日は早めに会場入りされ控室で雑談を交え色々なお話を聞きながら打ち合わせを兼ねた昼食。
子供の頃からやんちゃで、良い意味で子供がそのまま大人になったような方で、可愛らしい(遙か年長の方にこういう言い方は失礼かと思いますが)人間味溢れるとても魅力的で楽しい先生です。
小さな体でもバイタリティたっぷりで、湯川秀樹先生に議論を“吹っ掛け”ていたそうですからきっと若い時は凄く尖がって勢いがあったんだろうと思いました。

帰りの車中では、奥様との出会いや恋愛時代のこと、英語の論文を奥様に添削して頂き真っ赤になることなど話された。

そしてお酒なら何でも召し上がられる先生が毎晩奥様とワイン(フルボトル)で晩酌される際に、いつも奥様はワイングラスに1杯、残りは益川先生が全部飲まれるので「飲み過ぎ!」と奥様に毎日言われているということでしたので、私が「先生、でしたらせめて2杯にされたらいかがですか?バケツに」と言いますととても大きな声で「あっはっはっー」と大笑いされ「そりゃいいや」と仰いました。

さすがにノーベル賞のメダルはお持ち頂けませんでしたが、ノーベル賞級の楽しいお話をたくさん伺うことができました。
なかなかノーベル賞受賞者の話を生で聴く機会はないと思いますので是非一度いかがでしょうか?

2016/05/19 山本一力先生の講演を聴いてきました

2016/05/19 山本一力先生の講演を聴いてきました

川口で長年の弊社お得意様ご主催の講演会で山本一力先生「生き方雑記帳2016」と題しての講演を聴いてきました。

川口と言えば鋳物の街、そしてそれを踏まえた講演の冒頭の入り方は絶妙。

上京する直前の中学3年の頃だったと思うが、日活の映画で見た「キューポラのある街」ってどんな所なんだろうと思っていた。
当時日本中がこれから新しい国になるんだといって本当に頑張っていた。
高知も似たような街の雰囲気だった。
子供も大人も前に進むんだと思っていた時代だった。
そしてあの時代に育った人間は「人は一人じゃ生きてないんだ」ということを社会全体がしっかりと教えてくれた。

小学生の頃、やってはいけないこと、しなきゃいけないことを大事に大人が教えてくれた。

母しか居なくて自分と妹が母の細い稼ぎで市営住宅に暮らしていた。
名前は市営住宅だがバラックの長屋のようなもの。
でも皆同じようなものだったので負い目でも何でもなかった。

大人は朝起きてからずっと子供を気にしていた。
子供も安心して大人を頼ることができたし、信用することもできた。
今の社会は知らない人とは口をきいてはいけないという教育の流れになっていると聞く。
違うだろ!と思う。
これを当たり前にしていくと後に続いてくる子供たちは人を信用できないという社会で生きていくことになってしまう。
もう既に始まっている。

「弁え」はお互いが持つこと。
社会から、先生から教わった。
給食が一番のご馳走だった。
これも人が力を貸してくれたからこそ。
人が人を信用して生きていけた時代に他ならなかった。

母から念仏のようにいつもいつも「足るを知れ」と言われた。
生きていられるということがありがたいことなんだと。
そうして生きて行けば人を羨むことは無い。

時代がどう変わっていこうが変わらないものはきっとある。
親が子供に残せるものは「志」しかない
美田でもお金でもない。
そしてこれは親でなければ子に残してやれないもの。

困った時に杖となる言葉「負わなければいけない責任には法的な責任と道義的な責任の二つがある。間違っても道義的な責任を法的な責任で押し潰すな」と言われた。

一軒の家というものを考えた時に男が果たせる役と女が果たせる役は全く別物だと思っている。
男ができることはほんの少ししかない。
わかり易く言うと外で稼いできたもの全てをカミさんに預けて家庭を守ってもらう。
その役目においては親父。
もう一つ、家の柱となって家の憲法を家族に身をもって知らしめる。
この二つ以外の役目はカミさん。

従って一家の大黒柱はカミさんだと何の疑問も持たずにそう思っている。

男女同権、それはそれで良いと思う。
しかし断じて同質ではない。
女性でなければできないことは山ほどある。
同質であろうと思うことが無理がある。
母親の子を案じ続ける本能あるが故に子供は育っていくと思う。

ご自身の現在置かれている状況を赤裸々に語られ、折り合いが悪かった義母を親愛の情を込め実母のように「お袋」と呼び、義弟たちの環境を想い、ご自身のご家族が膝を患い歩けなくなるかもしれない「お袋」と一緒に暮らすことを決め、暮らし始めて色んなことが良い方向に変わっていき、その結果「天ぷらばあちゃん」が完全な家族になり、皆にとって大変良かったと話された。
いみじくも仰った「案ずるより産むが易し」。
これから日本で起こり得る家族の問題の理想的な解決方法の一つを提示されたのではないかと思った。

年代的に亭主関白の典型かと思いきや、全くそうではなく考え方が柔軟で女性、母の凄さを認め称賛し、男は絶対に勝てないと言い切る潔さ。

「足るを知ると同時に、知らない所で人が何かしてくれているということを弁えることが大切」と講演を締められた。

日本人とは、親とは、父とは、母とは、弁えるとは、足るを知るとは、痛み分けとは、など多くの不変で私たち日本人の誇りに通じる素晴らしいものを決して押しつけることなく自然に再認識させてもらえた素晴らしい講演でした。

低音で良く通る聴き易い声質、目を瞑ると情景が浮かぶ作家らしい秀逸な表現に包まれ、大変心地良く自然と心に響き染み入ってくるまさに「一力ワールド」です。

おしどり夫婦を絵に描いたようなご夫妻で、いつも通りご一緒に会場入りされ、奥様が甲斐甲斐しく先生の身の回りのお世話をされ、主催者の皆さん、そして私ごときにまでも大変気遣って下さいました。

山本先生は控室で講演直前に主催者の方々へ「どんなことでも講演の中で話して欲しいことがあれば仰って下さい」と言われ、いくつかリクエストを頂き、それを自然な形で、しかも即興で講演の中に取り入れられお話しされていました。
テーマが「雑記帳」とはいえ構成力はもちろん、その知識の広さのみならず深さもあり、直木賞作家の凄さを痛感しました。

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