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舞の海秀平先生の講演を聴いてきました(ゆ)2016/07/07

6月7日都内での弊社お得意様ご主催の講演会にて、舞の海秀平先生「夢は必ずかなう」と題した講演を聞いてきました。 登壇後、引退してから、解説業などを行うようになるまでの経緯をお話されました。
その後にはNHK大相撲解説での北の富士さんとのお話や、最近の大相撲界の話、現役時代の取り組みの話など、大相撲が好きな人にも面白く、あまり詳しくない人にもわかりやすいお話が盛りだくさん。
身振り手振りを交えながらのお話で、笑いもあり、話に聞き入ってしまうとても面白い講演でした。
その中でも、エピソードを2つほど紹介します。
1つ目は、相撲というものについて。 相撲はいわゆる普通のスポーツとは違い、伝統文化であり、伝統芸能でもあり、神事でもあるということ。
土俵で四股を踏むのも、昔は土の中に魔物がいるという考えがあって、それを追い出す儀式のようなもの。

スポーツは体重別が設けられているなど、いかに公平にやるかが大切だが、相撲はそういうものとは違う。

実は、行司がいなくても相撲は取れる。 行司の合図で立ち会うのではなく、力士の阿吽の呼吸で立つもの。

行司は力士が立ったのを見てから「のこったのこった」と言う。

ではなぜ行司がいるかというと、「神様と力士のつなぎ役」であるということ。

スポーツはいかに公平に競技できるかを大事にするが、相撲はお客さん優先で、いかに楽しんでもらえるかというところを大事にする

だからこそ、横綱が変化したり、猫だましをして勝つと、お客さんは喜ばない。

逆に「なにやってんだ」って怒るわけなのだ、と。

2つ目は、舞の海さんが頭にシリコンを入れて大相撲界に入ったお話。

相撲界に入るには規定の身長があるが、当時の身長では数センチ足りなかった。

そこで有力な部屋に入れば口利きで通してくれるのではないかと考え、出羽の海部屋に入ったとのこと。

しかし一回目の新弟子検査では、身長が足りず落とされてしまった。 根回しをしてくれていないのか、と思ったが、あきらめられずに、身長を伸ばす方法を医者に相談した。

すると知り合いを紹介すると言われ、行ってみると「頭にシリコン入れてみる?」と。

「他にもそういう人いるんですか?」と聞いたら、「ううん、君が初めて」と言われた。

手術は頭に何本も麻酔を打ち、中身の詰まっていない袋状のものを頭皮の下に埋め込む。

そして、そこに何回かに分けてすこしずつ水をいれていくという方法。

新弟子検査の前、規定の身長まであと少しというところで、もうパンパンになってこれ以上入らないという状態になり、麻酔を打って無理やり水を詰め込んだ。

なんとか173センチになり、2回目の新弟子検査に行ったところ、そのときの担当が、第55代横綱・北の湖だった。 見ると全然身長の足りないような人をどんどん合格させていて、これならシリコン入れなくてよかったんじゃないかと思っていた。

だが、誰にもシリコンを入れたことを言ってなかったにもかかわらず、北の湖さんは「痛いだろう」って言ってくれた。

強面ですがすごく優しい人なんだそうです。

後日、親方になぜ一回目に根回しをしてくれなかったのかと話を聞いたら、 当時舞の海さんは就職の内定が決まっていたのに相撲界に入ろうとしていたので、 「この小さい体では相撲界に入らない方が幸せなんじゃないか」と思ったからだとのこと。

しかし検査に落ちて東京に帰って行ったと思ったら、頭にシリコンいれて帰ってきたと驚いたそうです。

あきらめずにもう一回受けようという覚悟が、本物だと思われたんだろうと。

舞の海先生は、もしかしたらシリコン入れなくても2回目は根回ししてくれたかもしれないと冗談交じりに仰ってましたが、シリコンを入れたことを後悔してないとのこと。

この痛みがあったからこそ頑張れたという部分も大いにあるそうです。 その他にも、対曙戦での三所攻めの話や、力士の給料や懸賞の話など、盛りだくさんでとても面白いお話でした。

相撲好きな方はもちろん、少しでも興味のある方には是非聞いてほしい講演です。(ゆ)

弊社夏季休業のお知らせです2016/07/05

8月12日(金)から8月15日(月)まで夏季休業とさせて頂きます。

休業期間中は大変ご不便、ご迷惑をお掛け致しますが何卒ご了承下さいますようお願い申し上げます。

大久保博元先生の講演を聴いてきました2016/06/21

3月17日(木)に都内で弊社お客様のご主催講演会で大久保博元先生「私の野球人生」というテーマでの講演でした。

「たかが野球選手ですが聴いていただければ」と講演スタート。

「名前は言えませんが、三木谷さんは大変でした。こんなことにまで首を突っ込んでくるんだ、と思いました」と楽天イーグルス監督を辞めるに至った経緯を説明。

「嘘つかない、言い訳しない、人のせいにしない」を実践してきて今まで生きて来た。

長嶋茂雄氏エピソード。

茨城の大洗町出身だったので巨人を退団した時に当時1千万円丁度だった大洗ゴルフ倶楽部の会員権を買えと勧められ無理して購入。

1千万円もしたと購入の報告をしたら「1回か2回講演すれば買えるだろう?」と言われ長嶋さんは1回の講演料を500万円貰っているんだと驚いた。

3歳の時に父を亡くし実家が土建業だった母親に育てられたが、生卵1個を弟と分けて卵かけご飯で食べるような貧乏だった。

母方の叔父に小学生の頃「大人になったら何になりたいか?」と訊かれ「野球選手」と答えると「太平洋の中から10円玉拾うより難しい」と言われたが海で泳ぐとよく10円玉だけでなく100円玉も拾っていたので結構なれるんじゃないかと思っていた。

また、母も「お前がなれなかったら誰がなれんの?」と言ってくれた。

小学校1年の入学式から1日100回素振りしようと決め、1日も休まず6年間で1日平均500回は振った。

松井秀喜は1日1000回振ったと聞いて驚いていたら、イチローは1日2000球打っていた。

振った数、打った数がそのまま年俸に正比例していて納得した。

言い換えればバットを数振れれば誰でもなれる職業だと言える。

年号を語呂合わせで覚えることが苦手で母親に覚えられないと言ったら「母子家庭なんだから過去は振り返らないで前向いて行こう」と言われ勉強しなくていいんだと思った。

中学の時やくざの事務所に出入りしていたら親分に「日本一のやくざにしてやって下さい」と頼みに行ったり、高校の時に学校を辞めたいと言ったら「偉い!義務教育は終わってんだから」と言うような豪快な母親だった。

西武へ入団するまでの経緯、広岡さん、森さんとのこと、ジャイアンツへ行ってからの夢のような経験。

「嫌なことは全て運に変わる」という持論。

座右の銘は「我慢」だがTVを見ていてある女性タレントが「死ぬこと以外はかすり傷」と言っていたのを見ていいこと言うな、本当だなと思って今はこれも大事にしている。

ジャイアンツ時代のキャッチャーがピッチャーに出すサインエピソード、日本ハムの白井コーチのサードコーチャーズボックスでのここでは書けないこと。

長嶋さん、王さんの共通点、「威張らない」。

星野さんは威張るのではなく常に怒っている。

今回も今後どうするのか訊かれ、球団に残らないかと慰留された。

怒る反面、周りの人たちのことを常に気遣う星野さん。

現役引退後、ラジオのニッポン放送との解説者での契約の話。

1年目600万円で2年目には倍になるからと結んだ2年目の契約更改で「いくらぐらい上げてもらえるんですか?」と訊くと「このご時世だから10万アップで我慢してくれ」と言われた。

村田真一(現・読売ジャイアンツヘッドコーチ)氏の娘さんの死を目の当たりにし「人って死んじゃうんだ」と思いそこをきっかけに根底から考え方が変わった。

引退後運よく仕事に恵まれ結構稼がせてもらい天狗になった時期もあった。

それまではお金が安いだの、結果がどうのと下らない事を気にし過ぎていたかがよくわかり、この日以来今日死んでもいい人生を送ろうと決めた。

結果を気にせずやることをやり、出た結果を良しとすればプレッシャーは無い。

ハーバードの研究者が成功の可否は8割が「運」という調査結果を発表した。

ではどうやって「運」を呼ぶか?

まずは「明るい」こと。

失敗にめげずニコニコして次があるさと前に進める人のことらしい。

そしてこうしてこうやればこういう結果が出るからうまくいくと考えるのではなく、必ずうまくいくんだと良い結果が出る前提で物事を進められる人。

水戸商業の合格発表前日に母から「博元、お前受かっているからな、明日みんなで合格発表見に行ったら喜んだフリしろ」と言われたことがあった。

一昨日母に「裏口だったんでしょ?」と訊いたら「博元、それは墓場まで持って行くから」と言われた。

自分は学歴が無いので知らないことはもちろんどんな人の話でも興味がある。

選手には「義理と人情とやせ我慢」「人の失敗を笑うな」と言っていた。

 

2008年に西武の渡辺久信監督にバッティングコーチに呼ばれた時も年間2億稼いでいたが年俸3000万円でも「やるだけやってみましょうよ、ダメなら辞めればいいじゃないですか」と言われそれもメモして引き受けた。

きっとそういう所を見て下さって拾われたと思っている。

「メモ魔」を自認していて、どなたの話でも役立ちそうなことを全てメモし(確かに控室で私と話している時もそうでした)、一日の終わりに必ず小さなコーチ手帳の1Pにまとめる。

 

交感神経、副交感神経の話から石川遼選手の「なるほどエピソード」。

人を動かす上でも知識として必要。

 

講演の合間合間に聴衆の何人かに直接声を掛け会話したりして飽きさせない工夫。

 

監督にとって一番やらなければならないことはチームの士気を上げること。

今シーズンの巨人は士気が上がらず5位くらい、良くてAクラスで優勝は無いという予想。

もし外れて巨人が優勝し、私を街で見かけたら「デーブ、外れたじゃないか」と是非声を掛けて下さい、お詫びにご馳走に“なりますから”と笑わせることも忘れない。

水戸商業の後輩の横田真一プロに「どうすればプロゴルファーになれるか?」と訊いたら「毎日500球練習場で打って毎週2ラウンドすればなれます」と言われ、「そうか」と始めた。

1日1000球を365日毎日欠かさずやった。

そして週4ラウンドでスタートし週7ラウンドにした。

朝5時に起きて7時からラウンドして14時から東京ドーム行って、終わってフジテレビに入って終了後練習場で打ってという毎日。

食事もそこそこに睡眠もろくに取れず車中泊が当たり前の日々。

プロテストに受かるまでの壮絶な日々のこと。

質問にも丁寧に親身になって答えられていた。

ご自身が講演の中でも(謙遜されて)口にされる「バカだから、頭悪いから」という前提で様々な勉強、努力、気遣いなど人の何倍も努力してこられたからこそ西武ライオンズでのコーチ、楽天イーグルスでの二軍監督から監督へとたった12球団しかない内の1つのトップにまでなられたのだろうと容易に想像がつく。

特に若い人たちに聴いて頂き盗めるものは盗んで頂ければ先の人生の展望が開けるヒントになると思いました。

かくいう年上の私もまだまだ未熟ですので大変参考になりましたし、見習わせて頂かねばならないことが多々ありました。

 

やはり元スポーツ選手の講演は楽しいと再認識しました。

 

余談ですが後日大久保先生の新橋のお店「肉臓でーぶ」にお邪魔させて頂きました。

そこで偶然にもお客様として来られていた松木(安太郎)先生にお会いし、「先生」、「社長」となりしばしお話しさせて頂き楽しい再会となりました。

 

林家三平師匠の講演(+落語)を聴いてきました2016/06/07

 

2月28日(日)に鹿児島県内で毎年開催頂いております主催者様の講演会で「笑いと人生」と題して林家三平師匠の講演と落語を聴いてきました。
今年も「同行サービス」をご利用頂きました。

つい先日日本テレビ「笑点」のレギュラーメンバー新加入の発表がありましたので三平師匠が新たにレギュラーメンバーになられたことはご存知の方も多いと思います。

 

さて、まずは講演部分。

何と登壇後すぐに客席へ降り聴衆の方々と和気あいあいのやり取り。

これで場内の雰囲気もあっという間に柔らかくしてしまう所はさすがです。

 

次におそらくナマの落語に接したことがある方がほとんどいらっしゃらないだろうと、落語や落語界についての解説を。

もちろん堅い内容ではなくちゃんとオチで大爆笑へと。

 

先代三平師(実父)から子供時分に教わった小噺をいくつか披露。

 

落語界に入るキッカケと入門まで。

落語界の“身分制度”について。

それぞれの“身分”での修行・仕事などの内容。

落語を演じる上での決まり事。

扇子や手拭いの使い方。

 

聴衆参加型の脳が元気になったり、若返るらしい手の運動を歌いながら楽しく会場一体となりやってみたり。

 

仕草を実演しながら「何を食べているか?」というクイズを出して笑いを取ったり、お客さんに舞台に上がってもらい実演して頂き場内を大爆笑に包み衣装替えのため10分間の休憩に。

 

いよいよ聴衆の皆さんお待ちかねの落語へ。

マクラ(落語に入る前の導入部分)で様々な楽しい話をしながら今日のお客様が何を求めておられるか、反応を確認しながら演目を決めるために探ります。

 

その中から一つだけご紹介させて頂きます。

海老名家の香葉子お母様と三平師匠の家での親子の会話。

香葉子お母様「三平、何か飲み物持って来て、ペットボトルでいいから」

三平師匠「(冷蔵庫の中を見ながら)お袋、“おーいお茶”でいい?」

香葉子お母様「うーん、少なくていい」

 

わからない方は置いて行きますので悪しからず。

 

この日の演目は三平師匠がまず東京の高座には掛けない「味噌豆」

これは唯一先代三平師匠(お父様)から稽古を付けてもらい教わった演目なんだそうです。

お客様にはわからなかったと思いますが大変貴重な演目でした。

 

さすが爆笑王と言われた先代のご子息、先代三平師匠はじめ多くの落語家の師匠方やご家族の面白エピソードもあり、マクラでも落語でも大いに沸かせ巧みに場内を笑いの渦に引き込んでいきます。

 

私自身亡くなられた五代目(先代)三遊亭円楽師匠とは深い親交がありましたので、先代三平師匠のお話もたくさん聞いており、大変人柄が良く、偉い方にも若いこれからという人にも分け隔てなく接され、気遣い、配慮もさりげなく、決して悪口を言わず、いつも褒めてくれ後輩に自信を付けて下さる誰からも好かれる素晴らしい先輩だったと伺いました。

そのお蔭だけではもちろんありませんが当代三平師匠も実兄の現落語協会副会長の正蔵師匠も、先代とお付き合いがあった各界の名だたる大御所に可愛がって頂けているのだろうな、まさに「情けは人の為ならず」を実践されておられたに違いないと思いました。

 

講演と落語というなかなかお目に掛かれない組み合わせです。

きっと「いつもと違って新鮮で良いね」と言われると思います。

楽しい講演会にしたいと思われた時には是非候補に加えて頂ければ幸いです。

奥村幸治先生の講演を聴いてきました2016/04/05

2月3日(水)に都内で弊社お得意様ご主催の講演会で奥村幸治先生「プロ野球チームに見る強い組織のつくり方と夢を実現させるためのセルフマネジメント」と題しての講演を聴いてきました。

決して試合に出ることのないバッティングピッチャーを4年間。
プロ野球の経験なし。
身長168cmと小柄、教え子のマー君(田中将大投手)は188cm、体重95kg。

7球団のテストを受け、オリックスにバッティングピッチャーの枠なら、と採用してもらった。

バッターに気持ち良く打たせるのが仕事。
4~10月のシーズン中にバッターに投げる時間は1日20分。
1分間に6球以上、毎日150球以上投げる。
これで年俸は少なくて600万円、ジャイアンツは1000万円以上とも。

翌年1つ年下のイチロー選手が入団してきた
彼との出会いがなければ今の講演をさせて頂いている自分は無い。
昨年は160回の講演。

入団当時は土井正三監督。
プロ野球選手たるもの「自覚と責任」と言われ、移動中は決められたスーツにネクタイ、新聞、ウォークマン禁止、門限もあり締め付けが厳しかった。
翌年交代し、仰木彬監督に。
阪神大震災の年の優勝監督でもある。

イチロー選手は土井監督の時にスタートは一軍だったがバットのグリップエンドに小指を引っ掛けて練習していた時、とても有名なバッティングコーチが「その握り方をしていてデッドボールが当たると骨折するよ、やめなさい」と。
実績が全く無いイチロー選手が「こんなとこにデッドボール当たるなんてどん臭いですよね、当たらなければいいじゃないですか」と言い返したらたったの4日で二軍に落とされた。
イチロー選手はこの時泣いて泣いて泣き崩れていた。
私の所へ来て「このバットの持ち方には理由があります。決して体格では恵まれていません。バッターとして成功するためにはバットを握った時、小指に一番力が入ることがすごく大切なんですよね。でも監督もコーチも全く聞いてくれなかったんです。最初から否定しかなかったんです。ホント悔しいです。二軍に行ってきます。」と、二軍へ行っても全く変えず次々と記録を塗り替えた。
今も変わっていない。
翌年仰木監督に代わりキャンプ初日のミーティングで「君たちはプロ野球選手、自覚、責任を持って行動して下さい。」続けて「プロ野球選手はグラウンドで結果を出すこと、これが全て。それができれば一切何も言わない。」と。
さらに移動中の服装も新聞もウォークマンも全て自由、門限もなしに。

この年パンチ佐藤氏に銀座に飲みに連れて行ってもらい宿舎へ戻ると午前2時過ぎ。
ロビーに仰木監督、さすがに叱られるかと思いきや我々に「おはよう、お前らも今帰ってきたのか?俺もや。今日の試合頑張ってくれな、おやすみ」、
そしてパンチさんに「これでわかったろ、門限がない理由、ワシが飲めんようになるからや。ワシが守れんのに選手に守れって言うのおかしいやろ。」
その監督が翌朝一番にグラウンドで黙々とランニングをしていた。
それを毎日続けていた。

キャンプ初日、バッティング練習を終えたイチロー選手を呼び仰木監督は「イチロー、今年一年何があってもお前を一番バッターで使い続けるからね。」と言った
イチロー選手はこの年20歳で210本という日本最多安打を達成
20歳から26歳まで日本で7年連続首位打者、27歳から37歳までメジャーリーグで10年連続200本安打達成、日米通算4000本安打も達成。
仰木監督と出会っていなければ今のイチロー選手はないと思う。
210本の日本記録を昨年西武ライオンズの秋山選手が216本で更新したが試合数は143試合、イチロー選手の時は130試合。
もし当時143試合あればこの年の打率が3割8分7厘だったのでおそらく230本くらいは打っていたと思う。

この後阪神、西武へと移籍。
奥村先生が見た弱いチーム、強いチームの特徴と理由。

NYメッツのキャンプで野茂さんと吉井さんにメジャーと日本の違いを訊ねた。
「コーチングの違い」
日本は「与える」、メジャーは「聞き出す」
選手は自分の気持ちや考えをきちんと伝えなければならないから大変。
自己主張が無ければ世界で通用しない。
野茂投手は英語が全然喋れなかった頃、自分で目標を立てそれをクリアしようと毎日努力していたら、監督、コーチが「野茂、君がやり続けていることは素晴らしい。もっと続けなさい。ただこうすればさらに良くなるよ。」と声を掛けてくれた。
彼らは絶妙な距離感で選手の気持ちをちゃんと考え行動していれば言葉で発しなくとも見抜いてくれ、気付いてくれる。
逆も真。

メジャーの選手たちが言った成功の法則
「誰よりも強い身体を作れ」
それがないと他人よりも努力ができない。
努力ができなければ自分の技術は上がらない。
体調管理を万全にしないと良い結果を出し続けることはできない。

まさしくこれを一貫してやっているのがイチロー選手。
ビールのCMにも出ていてビールが大好き。
でもどんなにお酒を飲んでもビールとワイン一杯ずつ。
それ以上飲んでいる所を見たことが無い。

そしてもう一つ、「運を掴め」
いっぺんに凄い運は巡ってこない、少しずつ。
人として当たり前のことを当たり前にすると絶対に自分に良い運が入って来る。
「君はどんな選手を応援する?例えばすごく野球が上手い、でも人としていい加減な選手と野球は全然上手くないけど人として素晴らしい選手」と訊かれ
「後者」と答えると
「そうだろ、この質問は誰にしても皆そうやって答える。このことに気付かなければ絶対に良い運は巡ってこない。良い人間になろうよ。」と言われた。
「メジャーリーグの選手は毎日どんなことを心掛けているの?」と訊くと
「僕たちは当然お金を持っているからできることかもしれないけど、貧しい国の人たちのために支援したり基金したりということをメジャーリーガー全員がやっている。こういう活動をするとファンの皆さんが素晴らしい、応援したいと言ってくれる。好きな野球をやっていても今日は行きたくない、休みたい、時にはやめたいと思うことがたくさんある。でもこんな時にファンの皆さんがいつも「頑張れ」と声を掛けてくれると頑張ろうという気持ちにさせてくれる。感謝なんだよ。」

母国が苦難に陥った時に飛行機をチャーターし救援物資を届けようと帰国の途中に墜落し、亡くなったロベルト・クレメンテというメジャーリーガーがいた。
その後「彼こそメジャーリーガーの誇り」と讃えられ、メジャーリーガー全選手が最も欲しがる「ロベルト・クレメンテ賞」が創設された。

東日本大震災の時にイチロー選手は一億円寄付した。

そのイチロー選手が日々考えていること、それは「心技体」のバランス。
そのための「プラス思考」
早く球場に行きたい、早くバットを持ちたい、早く試合したいというような。

20歳時のイチロー選手の「ベテランか!」とツッコみたくなる“目標哲学”
イチロー選手のルーティンあれこれ。
絶対に誰にも負けない努力は何だったか?
簡単なことほど難しい。
こうやろうと決めたことはずっと続ける。
イチロー選手は努力を継続する天才

日本ハムファイターズで引退したイチロー選手と同い年の稲葉篤紀氏から聞いた2009年WBCでのエピソード。
イチロー選手がこのWBCでずっと活躍できてないかったから本人はさぞ辛かっただろうと思う。
そんな中で自分よりも年下の選手たちを毎日ご飯に連れて行きチームをまとめるために先頭に立って行動していた。
稲葉氏は「俺は無理だった、自分のことで精一杯だった。」
でも、察して余りあるイチロー選手はそうしていた。
そして迎えた韓国との決勝戦、3対3の同点で迎えた10回表、2アウトランナー2塁3塁、イチロー選手がバッターボックスに向かう、日本のベンチの若い選手たちは皆「イチローさんお願い、ヒット打って」という気持ちになった、と。
そしてファウルで粘ったカウント2-2からの8球目をセンター前2点タイムリーヒットを打ち日本が優勝した試合のこのイチロー選手の最後のヒットは「イチローが打ったヒットではない。みんなの思いが打たせたヒットだった。」と稲葉氏が言った。
そして「みんなをそんな思いにさせたのは、どれだけ自分が辛くてもチームをまとめるために先頭に立って行動しているイチローの姿があったから、この姿を見た時にこれが世界のイチローなんだと本気で感じさせられた。」とも。

星野仙一氏の話
毎年アメリカで開催されている中学1年生の野球の世界大会。
9年続けて毎年1500万円の支援をして下さっている。
この支援がなければ日本の子供たちは世界大会の経験はできなかった。

期間中子供たちは現地のお宅にホームステイさせてもらう。
そして2週間過ごし帰国するときにアメリカの両親との涙の別れがある。
「奥村、この出会いが大事なんや、自覚、責任が少しでも芽生えてくれたらそれでいい。」と。

田中将大投手、24連勝という日本記録を持っている。
達成できた理由がある。
星野監督のことが大好きで、自分はエースだから負ける訳にはいかない。
だから日本シリーズで160球投げた翌日にマウンドに立てる。
自分のためじゃなく人のためだから。

なぜ駒大苫小牧高校に行くことになったのか?
決めるに足る理由がそこにあった。
ここはぜひ講演で聴いて下さい。

マー君はヤンキースに入団が決まった時に決して良いイメージばかりを持って渡米した訳ではなかった。
きっとこういうことで困るだろうとマイナスのイメージを持ちそれに対しどう対処して解決していけば良いかを考えていたから、悪い時でも自分を見失うことなく平常心でいられる。
だから悪い時に悪いとならないから信頼される。

東京モーターショーでのエピソード
豊田章男社長とイチロー選手の対談。
豊田章男社長「私はイチロー選手が大好きです。どんな状況の中でもグローブ、スパイクを磨くことを怠りません。どれだけ悪い結果でも愚痴をこぼしません。そんな前向きな姿勢のイチロー選手が大好きです。今自動車業界は苦しいです。若い人たちが車に乗らなくなっています。プリウスみたいな車や水素の車が生まれると思っていましたか?今度は自動運転です。非常識が常識になります。そこには挑戦する気持ちがあるんです。前向きな気持ちがあるからこそ非常識が常識に変わるんです。イチロー選手は42歳です。あれだけの動きができる、凄いです、ある意味非常識です。でも常識に変えることができる、そこには彼の前向きな挑戦する姿があるからなんですね。
イチロー選手「成長し続けるということは前進と後退を一歩ずつ繰り返しながら成長します。つまり後退も成長に向けた大切なステップです。」
イチロー選手の現状を象徴する言葉。
この3年ぐらいはなかなか試合に出られない状況が続いている。
でもそれを受け入れる。
マーリンズの球団代表は「イチロー選手終身雇用。彼はヒットを打つだけが素晴らしいのではない。彼の行動全てが若い選手たちの模範になるんです。」と。
そこに気付いてもらえなければきっと結果ばかり求められる。
するともう要らないとなる。
でもそこに気付いてくれるからこそイチロー選手も頑張れる。
球団と本当に良い関係だと思う。

チーム(組織)のあるべき姿、コミュニケーションの取り方、モチベーションの上げ方、リーダーシップの取り方などプロ野球というフィルターを通して大変参考になる講演だった。
イチロー選手のように「早く会社に行きたい」「早く仕事をしたい」と本気で思ってくれる社員が欲しいと聴かれた社長さん方皆さん思われたことでしょう。
もちろんMe toですが。

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