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2015/02/06 笹野高史先生の講演を聴いてきました

2015/02/06 笹野高史先生の講演を聴いてきました2015/06/09

都内で弊社お得意様のご主催講演会で笹野高史(ささのたかし)先生「待機晩成 ~日本一の脇役が語る人生の美学~」というテーマでの講演を聴いてきました。

この日はご自身で運転される車(黄色のポルシェ)で颯爽と現れました。

控室でお話する中でご趣味が「珍名収集」とのことで私も珍しい苗字ですので大変興味を持って頂きご自身のスマホに登録されました。

淡路島で生まれ実家は造り酒屋、「こう見えてもお坊ちゃま」で“笹野のぼん”と呼ばれていた。
男ばかり4人兄弟の末っ子でお父様は3歳の時に結核で亡くなり、ご自身は「結核保菌者」、「ご希望の方にはお帰りの際に差し上げます、お若い方には特別に口移しで」とジョークで会場を笑いの渦へ引き込んだ。
お母様が若い時分に映画が大好きだった。
映画館に一緒に行き食い入るようにスクリーンを見つめる姿が今も脳裏に焼き付いている。
その母も11歳の時に亡くした。
母の影響もあってか祖母の財布から少しだけ拝借して映画館に通い詰めた。

中学に入り友人たちと「大きくなったら何になりたいか?」という会話をした時に恥ずかしながらこのことの意味すらわからなかった。
将来何になるかを決めなければならないのだと初めて理解した。
そして母が観ていた映画に出ている人たちは「映画俳優」という職業だと知った。
15歳の時ルックスを鑑みれば「映画俳優」を志してはいけないのだろうか?と思っていたところに世に出てこられ憧れたのが渥美清さん。
この人が出来るのならジャガイモみたいな自分でもできるかもと考えた。

ただどうすれば映画俳優になれるか全くわからない。
もちろん近所にも映画俳優は居ないし。
「映画俳優になる本」を買い、隠していたら兄に見つかり大目玉。
「お前がなれる訳無い」と言われ「絶対になってやる」と言い返し、もしなったら淡路島中逆立ちして歩くという誓約書を兄に書かせた。
残念ながらそれは無くしてしまったが思い出して後日兄に「そういうことがあったよね?」と訊くと「記憶にございません」と一蹴された。

周囲には「映画俳優」を志しているとは一言も言えず大学に行こうと調べると日本で唯一「映画学科」が日本大学芸術学部にあった。
その中にも4つのコース①演出(監督)、②技術(カメラマン)、③脚本、④俳優があり、願書提出時に選ばなければならない。
誰にも言ってないのでさすがに④俳優コースとは書けないので演出コースを選び嘘を付いて周囲を欺き上京。

演劇のサークルに入り、自由劇場のメンバーと親しくなり裏方としてスタート。その中には同い年の佐藤B作や柄本明がいて今も付き合いがある親友。
その後23歳の時に実は役者をやりたいとカミングアウト。
しかしお定まりの貧乏生活。
年4回芝居をやると長期のバイトができず生活は不安定。
稽古場に行けば誰かがいてお金を貸してくれる。
お金がなくてもちっとも辛くなかったし、今でも苦労したとは思っていない。
楽しかった。

この頃「男はつらいよ」で大人気になったのが渥美清さん。
俳優としてこの映画に出ることが役者のステータスだった。
あろうことか佐藤B作に先を越されてしまった。
さらに柄本明にも。
ただここで自分にもきっとチャンスがあるのではと思い芝居に精進した。

すると「男はつらいよ」のプロデューサーから声が掛かりその内連絡が行くと言われ狂喜乱舞したが、待てど暮らせど一向に台本は届かない。
痺れを切らしプロデューサーに連絡すると「監督に薦めてはいるのだが山田監督は大変人見知りで、知らない役者は使わない」と言われた。
そうこうしているうちに倍賞千恵子さんの舞台の話が来て、これに出れば山田監督が観に来て下さるのでは、そうすれば「知らない役者」とは言わせないと考え即座に「やります」と。
そして倍賞さんに「舞台をやられる時には当然山田監督はお見えになられるんですよね?」と訊ねると「いいえ、一回も来て下さったことはありませんよ」と言われガックリ。
しかし何とその舞台に監督がカメラマンとお見えになりしばらくして台本が届き夢が叶った。
「倍賞さんのお陰で出演でき今でも足を向けて寝られません、ご自宅がどちらかは存じ上げませんが」
これ以降山田監督の作品にずっと今でも呼んで頂いている。
「B作や柄本は1回こっきりですから」と。

そしてこの出演を機に憧れの渥美さんとの交流もスタート。

山田監督の「武士の一分」では日本アカデミー賞「最優秀助演男優賞」を始めいくつも賞を頂いた。

お陰で頂く役も徐々に大きくなり、かねてより教科書に出ていて自分に似ていたのでやりたかった秀吉の役をNHKから貰い、視聴者から「信長より年上の秀吉はあり得ない」と投書が来たりした。
秀吉の臨終の場面では監督から「もうちょっと早く死ねませんか?」と言われたりも。

亡くなるまで続いた渥美清さんとの交流の数々のエピソード。

随所に笑える話題をちりばめ飽きさせまいとの一生懸命さが伝わり、尚且つ不遇な時に腐らず怠ることなく勉強し努力を続け、来たるべきチャンスに備え巡ってきたそのチャンスをいかに掴み取るかという主題がさりげなくだがしっかりと伝わるとても良い講演でした。

 

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