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湯澤 剛先生の実績紹介

湯澤剛先生の講演を聴いてきました

湯澤剛先生の講演を聴いてきました

都内で長年の弊社お得意様ご主催で湯澤剛先生「朝の来ない夜はない。あきらめなければ必ず道は拓ける。 ~負債40億円からの挑戦~」と題しての講演を聴いてきました。

湯澤剛先生は先日(2017年10月7日)NHK総合テレビで「逆転人生」という50分番組で壮絶な人生が紹介されました。

著書「ある日突然40億円の借金を背負う――それでも人生はなんとかなる。」も15万部以上という信じられない数字を叩き出しています。

18年前、キリンビールのサラリーマンだった36歳の時にお父様が急逝され、事業を引き継いだ時の負債額がなんと40億円からの返済スタート。
「泥の中を進む」と表現された18年間。

鎌倉(大船)本社で神奈川東部地域で飲食店事業を展開。
主に海鮮居酒屋の経営で年商17億円、正社員70名、アルバイト150名。

当時先代が33店舗経営していた時にサッポロビールと関係が深く、全てそこから仕入れており、絶対に継ぎたくなかったから大学卒業後にライバル会社であるキリンビールに就職すれば戻って来いとは言われないだろうと考えサラリーマンになった。

平成11年1月、先代が心筋梗塞で倒れ亡くなったという連絡を受け実家に戻り、社葬を出し金融機関の方から「会社はどうされるのか?継いでもらわなければ困ります」と異口同音に言われたが、人生最悪の選択なのでそのつもりは全く無かったのでとりあえず引き取ってもらった。
しかし従業員の女性から泣き付かれ仕方なく2週間だけという約束だったが、経ってみると周囲から「社長」と呼ばれるようになっていた。たった2週間だがこの状態でもし自分が抜けたらメチャクチャになってしまうことが見え、継がざるを得なくなってしまった。
眼前の対応に追われていたら社長と呼ばれ事業承継していたというのが本当の所。

ここから経営者としてスタートを切ることになるが、まだキリンビールを辞めていないので辞めると言いに行かなければならない。
この時中国に新工場を建てるプロジェクトメンバーに入っており自分では重要な仕事をしていたつもりだったので、当時の直属の上司に「週に1日か2日くらいしか出て来られないんです」と言うと「引き継ぎも半日でいいし、大丈夫だからいいよ、いいよ」と言ってはくれたが、自分が居なくても予定通りに進むのを見てだんだん寂しい気持ちになり、「そんなに俺は役に立たないのか」と思った。

飲食業界は接客も調理も全くの未経験
もちろんマネジメント経験も無し。
さらにはどんな会社でどんな店があってどんな人が働いてくれているのか全く知らなくて社長になってしまった。
おまけに海鮮居酒屋なのに生ものが苦手で刺身が嫌い

トドメは有利子負債額40億円。
債務超過額は25億円。
金融機関の方から年商20億円で債務超過解消までに50年、完済まで80年掛かりますと言われた。
36歳だったので完済した時に116歳か、俺の人生終わったなと思った。
この時の1か月の元本返済額は3563万円

督促状が段ボール箱一杯
泣き付かれた事務員に問い質すと元気良く「大丈夫です社長」と、で「なんで大丈夫なの?」と訊くと「ほとんどが税金と水道光熱費ですから」と言われ、後から計算したら全部で1億円あった。
「ただ半分は税金なので諦めて下さい。残り半分は水道光熱費だから大丈夫なんです」と明るく言ってくれた。
それでも心配なので恐る恐る「なんで大丈夫なんですか?」と訊くと「水道光熱費を支払うタイミングは電気やガスが止められる時ですから、3回目の督促状が来た後なんです。山積みのこの督促状は2回目ですからまだ全然大丈夫なんです」と言われ、酷いとこに来ちゃったなと本気で思った。

店はというと33店舗あったがマネージャーと呼べる店長はほとんどいない状態で何人かが何店舗かの店長を兼務していた。
本部は正社員が泣き付いてきた50過ぎの女性1人だけ。
あとはパート数名の体制。
全く組織の体を成していなかった。

この中で経営者としてスタートしたが最初はお金を払えていない所に謝って歩くのが仕事だった
当然店の管理ができるわけもなく、店長が売り上げを持ち逃げしたり、寿司店では咥えたばこしながら寿司を握ってお客様と大トラブル。
営業中に飲酒は当たり前、抜き打ちで店を見に行くと閑古鳥で、料理人は厨房におらず奥の座敷でマージャンをやっていたということもあった。
でも辞められたら店が開けられないと思うと注意できなかった。
他にも驚きのどん底の状態エピソードがいくつもあるわ出るわ。

そして1年経ち、なかなか覚悟が決まらなかったので最悪の状態は何かを紙に書き計画にした。
最悪は自己破産。
破産計画を作成したら、たったこれだけのことかと思え気が楽になり、期限を決め行けるところまで頑張ってみようと思った。
1827日(365日×5年+うるう年の2日)と決め、日めくりカレンダーを作り寝る前に1枚めくる
折れそうな心を1枚1枚カレンダーをめくることで何とか立て直して毎日を過ごした。
結果が見えない、出そうにない時に結果にコミットしたら心が折れてしまうのでそれを防ぐため。
カレンダーは進みこそすれ戻ることはない。
覚悟は決まったが33歳でお金は無いし、人はいないし、店はボロボロ。
この状況では一点突破全面展開しかないので33店舗の内1店舗の成功モデルを作ろうと考え中高年の男性客には支持されていたので、女性客やファミリー層を狙った。

弱点ばかりに目が行きそれを克服しようとして大失敗。
強味にフォーカスし状況を変えるべきだった。
全く逆をやってしまった。
原点回帰し「何を捨てるか」を徹底した。
つまり女性客やファミリー層を捨て中高年の男性客にターゲットを絞った。
そうすることで売り上げは1.5倍、利益は2倍になり、他の店舗も同じように展開して行った。
3か月に1店舗のペースでリニューアルというスピードだったので、半分の従業員は「忙しいのはイヤ」などと言って辞めていった。
が、残った半分の従業員が見違えて良く働いてくれるようになった。
「結果」の力だと思う。
自分一人の時は結果にコミットしてはいけないが、人を巻き込むときには結果を出すことが大事
出した結果をアピールしどんどん巻き込んでいく。

少しずつ良くなってきたと思っている矢先にアメリカ産牛のBSE問題。
当時吉野家のFCを5店舗やっていた。
全体の売り上げも利益も30%ありドル箱店。
これがゼロに。

そこでとにかく無駄な人件費を無くし経費コントロールをさせこの危機を乗り切るんだと居酒屋部門を叱咤激励。
その結果平成18年12月に過去最高の利益を上げてくれた。
吉野家の牛丼も翌2月の再開が決まっていたので、この時にどん底を抜けたと思った。

年が明けた平成19年1月にある店で大規模なノロウィルス食中毒事故を起こしてしまい営業停止になってしまった。

翌2月には変わろうと懸命に付いて来てくれていた重度の肝炎と糖尿病を患っていた昔から働いてきてくれたある従業員が12月の繁忙期の無理が祟り亡くなってしまった

さらに翌3月30日午前3時にある店長から「店が火事で全焼なんです」と電話が来て飛び起きて「人が亡くなってるなんてことだけはありませんように」と祈りながら現場へ向かうと、不幸中の幸いで人的被害は無かったが若干の延焼は起こしていた。

たった3ヶ月の間に立て続けに起こってしまい経営が嫌になり、本当に会社をやめようと思った。
この時点では9年経っていたので日めくりカレンダーの1827日はとっくに終わっていた。
M&Aの話もありほぼ借金がチャラになり会社は残すことができるので、幹部社員数名集めて「大手に売却しようと思う」という話をした。
反対はしてくれるだろうと思っていたが、労働条件も良くなるし給料も上がるかもしれないのに想定外だったのは本気で反対されたこと。
事故は自分たちが悪かったんです、二度とこういうことを起こさない会社を作り直しましょう、私たちは人生を懸けているんですと言われ、自分だけが逃げ出すわけにはいかない、もう一回やってみようと思った。

たった3ヶ月でこんなことが起きるなんてことがあるのかとよくよく考えてみたら、人件費を削れと言い続けてきたのは自分、社員は決して手を抜いたわけではない、自分が休んだら他の仲間にしわ寄せが行って迷惑を掛けてしまうと考え食中毒を出してしまった。
人的余裕がないために油を吸うダクトの掃除ができなくて火事を出してしまった。
全て自分のせいなんだ、なぜ社員を気遣ってあげられなかったんだと後悔し、人を大事にする会社へと舵を切り直した。
「全てお客様と仲間の笑顔と喜びのために」というスローガンを掲げ再スタート。
この時の借金はまだ20億円あったので、また元の利益優先借金返済の会社に戻ってしまい変われない自分のせいで大切な社員を失ってしまった。

ある経営者に「あなたは何のために経営をしているのか?」と問われ、答えに窮し借金を返すために・・・などと答えてしまった。
すると「あんたの所の社員はあなたのお父さんが作った借金を返すために働くということになるよね?」と言われ社員のことを何も考えていなかったことに気付かされた。
「何のために経営するか?」の答えを考えて考えて2つ出てきた。
一つは一緒に働いている仲間とともに成長し幸せになりたい。
もう一つは地域に必要とされる存在になりたい。
この二つが嘘偽りの無い目的だと信じられた。
そして成文化し「人が輝き地域を照らし幸せの輪を広げる」を経営理念として掲げた。

16年が過ぎ借金の残は約1億5千万円。
40億円の内15億円は不動産を売却し、売却損を出し法人税を納めなくても済むようにして23億5千万円を返済してきた。
利益を出して法人税を納めながらでは到底無理。

今まで気を付けてきたこと。
当面策と根本策を並行してやるということ。
苦しい時には日々起こる目の前の事への対応しかできない、これではもぐら叩き。
どんなに苦しくてもどこかで根本策に手を入れないとダメ。
緊急ではない重要なことをいかにやっていけるかがカギ。
根本策をやる時間を作ることをしなければ目の前の事に縛られてしまう。

なぜここまで来られたか?
諦めないこと、折れない心が大事
まさに演題「朝の来ない夜はない。あきらめなければ必ず道は拓ける。」そのもの。
どんな状況にあっても状況の受け止め方を自分でコントロールできれば自分の人生を諦めなくても良いということに気付いた。

好きな言葉「自分が源(みなもと)」
全ての原因は自分にあり、自分が変われば周りも変わると思ってやってきた。

そして忘れてはいけないのが地域密着の信用金庫がメインバンクで本当に良かったということ。
全く資金が回らなかった頃、信金の役員の方がすぐに来られて返済を月額300万円下げるから、これで少し息を継ぎなさいと言ってくれた。

そしてメインのうちが下げたのだからメガバンクも絶対に下げてくれるよ、今すぐ行った方が良いよと言ってくれたので頼みに行ったら、ある支店長にはニコニコしながら「良かったですね、信金さんも本格的なバックアップをしたのでしょう、私も嬉しいです。つきましてはうちの返済額を100万円上げて下さい。」と厳しいことを言われた。
人によっては優しい良い人ももちろんいた。
ただ一番の出世をしたのは100万円上げて下さいと厳しいことを言った支店長だった。
日経新聞で(人事異動を)追いかけて見ていたら執行役員まではなっていた。

最後はやっぱり「人」。
まさしく「企業は人なり」
社員が幸せであることが企業の繁栄の根本であると思う。

これからは働く人に選ばれる企業でなければ生き残れない。
中小企業にしかできない特化したことやもの、そして大企業のように長くても5年で代わってしまう役職者ではなく、命を懸けて働く社長と社員がいるからこそ大企業には絶対に負けないと思っている。

「朝の来ない夜はない。あきらめなければ必ず道は拓ける。」と締められた。

諦めずに今までやってこられたお話には経営のヒントがちりばめられ、経営者には打って付けの内容です。
人柄も良くきさくでこの日も懇親会にもご参加下さいました。
湯澤社長が仰った「社員には物心両面で幸せになってもらいたい」という言葉を私も肝に銘じます。

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