元全日本バレーボール選手。
勝山中学→八王子実践高等学校→筑波大学。
大学の星としてユニバーシアード3回出場('77、'79、'81)し、その活躍が認められ、1979年全日本入り。
1981年名門日立に入社。
さわやかな笑顔と高さのあるシャープな攻撃で、1981年東京ワールドカップで人気沸騰、女子バレーブームに火をつけた。
モスクワ五輪はボイコットに涙を呑むが、ロサンゼルス五輪で銅メダル獲得。
オリンピック後、かねてからの希望であった教職の道に転身。
現役時代のさわやかさとシャープさは現在も変わることなく、バレーボールの普及にとバレーボール教室、講演会のほか、CMではさわやかな面を、またテレビやラジオなどでは親しみやすさが感じられ、時にはバイタリティあふれるトークを繰り広げている。
また、2004年には神戸に本社を構える下着メーカー株式会社シャルレの代表取締役社長に就任。同ホールディング株式会社テン・アローズの代表執行役社長も兼任。
日本スポーツ界で初の上場企業の社長としての経験も積み、アスリート・指導者・経営者という多方面での実績を見に付けてきた。
2007年、同企業を退任し、2008年からは三屋スポーツラボを主宰し、健康を運動・栄養・休養と多面的に捉え、活動のフィールドをさらに広げている。
2011年3月の震災直後に「東日本大震災健康支援プロジェクト“こころとからだの健やかのために”」を立ち上げ、避難所・仮設住宅への健康支援及びバレーボールを通して青少年を健全育成を目的とするボランティア活動で、百数十回を越える訪問を行ってきている。
老若男女の幅広い対象の健康・スポーツ・教育を活動の柱として、あらゆる分野で活躍できるオールラウンドプレーヤーとして期待できる1人である。