1954年2月14日生まれ。秋田県田沢湖町(現仙北市)出身。
中学でバレーボールを始め、角館南高校時代には第2回春の高校バレーで準優勝。
世界一を夢見て、1972年故山田重雄監督率いる名門日立武蔵(その後日立)に入り、翌年全日本入りを果たす。
バレーボールの世界三大タイトル「世界選手権(1974年メキシコ)、モントリオールオリンピック(1976年)、ワールドカップ(1977年日本)」を獲得した全日本女子チームのメンバー。
引退後は夜学で学ぶも、日本の女子選手としては初めてヨーロッパを活動の拠点とし、バレーボールの選手、指導者として活躍。傍ら、日本体育協会の在外研修員として研修。
1981年には国際オリンピック委員会(IOC)が立ち上げたアスリート委員会に参加するなど視野を広げる。
1987年に帰国してからは、テレビ解説、講演、バレーボール指導など多方面で活躍。
2001年にはJOCの派遣で、一年間英国オリンピック委員会(BOA)で主にアスリートサポートに関して研修。
帰国後は、バレーボールの強化に力を注ぎ、2012年には、女子強化委員長として眞鍋監督率いる全日本女子バレーボールチームの、28年ぶりの銅メダル獲得という悲願を達成した。
強化の仕事の傍ら、得意の語学(英語、ドイツ語)を生かし、アジアオリンピック評議会(OCA)の理事、アスリート委員会委員長の責務も担い、アジアのアスリートのトレーニング環境の整備などにも力を注いだ。
2020年の東京オリンピック・パラリンピック招致では、スポーツディレクター、ロビイストとして世界中を駆け巡り、招致の成功に大きく貢献した。
2017年6月には、JOC強化本部副本部長に就任。山下泰裕本部長とともに、2020年東京オリンピックで、日本選手団の最多メダル獲得に挑戦する。