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2016/8/24 田中雅美先生の講演を聴いてきました

2016/8/24 田中雅美先生の講演を聴いてきました2016/11/22

8月24日に都内で長きにわたる弊社お得意様ご主催で、田中雅美(たなかまさみ)先生「オリンピックと私 ~競技人生で培われた人間力~」と題しての講演を聴いてきました。

リオ五輪後初の講演だったそうです。

映像(DVD)で引退までと引退後~現在の講師紹介で講演スタート。

最初のオリンピックが17歳で出場した1996年アトランタ、2度目が2000年シドニー、3度目がアテネに出場し、現役引退。

今回のリオの金メダル第一号が萩野公介選手。
事前の解説で萩野選手か瀬戸選手が金メダルを獲る確率100%と公言
普段から二人を見続けてきたからこそ、勇気は要ったが言えたことだったということが、分析を聞いて良く分かった。

松田丈志選手が出場し見事銅メダルを獲得した自由形800mリレーの秘話。

萩野選手の凄さ、泡が立たない手の入水の仕方、「足を入れる」とは?など様々な話をわかり易く。

田中雅美先生の17歳で初めてのアトランタ五輪での成績は、200m平泳ぎに出場し、自己ベストを出して5位だった。

オリンピックでメダルを獲るには80%の力で戦える力が無いとそこでは戦えないと言われてきた。
体操の白井健三選手は戦前予想で床の金メダルの確率200%と言われていたが、結果は4位。
普通にできていれば誰も追い付けないほどの実力を持っていてもメダルが獲れなかった。
それほど難しい。

オリンピックの水泳会場には2万人の観客、その歓声がどのように選手に伝わるかというと、音がブルブルと振動となって伝わり、ピリピリ、ジリジリ感じる。
独特の雰囲気、空気感の中で戦う難しさ、厳しさ。
自己ベストを出してもメダルに届かないということは、もっと努力し戦える気力、実力を付けなければいけないと思った

そして改めてメダルを目指し、臨んだ2000年シドニーオリンピック。
非常に苦しい、辛い大会だった。

代表選考レースで、予選、準決勝、決勝と全て日本記録を更新し、決勝のタイムは当時歴代2位のタイムでメダル確実と言われた。
すると環境は一変し、思うように体が動かず、練習ができない状態に。
更には「努力は無意味」「水泳なんて楽しくない」と思うほどだった。

その結果個人種目は100m6位、200m7位。
そして最後はメドレーリレー。
戦前予想は持ちタイムから日本かドイツのどちらかが3位に入るだろうというものだった。
リレー直前に大西順子先輩から掛けて貰った言葉
「この4人なら絶対にメダル獲れるから、雅美は自信持って泳ぎなさい」と。
「努力は無意味」「水泳なんて楽しくない」と思っていたのが嘘のように「このメンバーだったらやれる」と心底思えた。

このレースの模様と表彰式をノーカット映像で。

0.3秒差でドイツに勝ち、銅メダル。
仲間のお蔭で獲ることができた銅メダル、感謝の思いで一杯。

リオのメダルはもの凄く大きくて重たいと選手たちが言っていたが、規定上限の500gもあった。
田中先生にとってはとても重かったが、シドニーのメダルは半分以下の230gしかない。
聴衆の皆さんに実際に持って触って首に掛けてオリンピックを少しでも感じて頂きたいと実物の銅メダルを持参、会場内を回しすべての方に手に取って頂いた。
中には首に掛け写真を撮りあう方も。

コーチ、両親、トレーナー、チームメイト、応援して下さった全ての方々に支えられた結果が銅メダル

陸上リレーのバトンパスが重要なことと同じで、水泳も“バトン”(タッチ)が大切
全チーム中、合計タイムが1位(一番少ないタイム)だった。

帰国し多くの方々から「おめでとう」「頑張ったね」などと声を掛けて頂き、手紙を頂いたりした。
また、リレーメンバーだった中村真衣さんとディズニーランドに行った時、ミッキーマウスと写真を撮ろうと思ったら、ミッキーが泳ぐ格好をしてくれ、「覚えてくれていたんだ」ととても嬉しかった。

シドニーでは個人でのメダルは獲れず悔しい思いをした。
水泳を辞めようと思ったが、もう一度自分が頑張ったと思いたいという気持ちと応援して下さった方々へ恩返しをしたいとの思いから、もう一回アテネへ行きたいと思った。

練習がきつすぎてゴーグルに自分の涙が溜まるほど。
でもそのきつさよりも辛いことがある。
モチベーションを保ち続けるといったメンタルの部分。
自分を信じ続けることは凄く大変

リオでも金藤選手が何度も辞めようと思ったが、続けてこられたのは加藤コーチのお蔭だと言っていた。
加藤コーチは「お前は絶対にやれる」と言い続けてくれた。

自分自身が自分に自信を持てなくなる時があり、何度も挫折してきたことで、オリンピックにもう行けないのでは、メダルも獲れないのではないかと思う自分を信じ続けてプールに向かう大変さ。
そういう時に支えになってくれる周りの人の大切さ。

二つの言葉
一つ目はアテネの1年前にもうダメだと思い水泳を辞めたいと掛けた電話で母に泣きながら言われた言葉
「親としては一生懸命やったねと言ってあげたいけど、アテネまでやると自分で決めたことは最後まで諦めずに続けなさい」と電話を切られた。
要は自分で決めたことは諦めてはいけないのだ、ということ。

二つ目はアメリカでトレーニングをし、タイムに一喜一憂していた時に出会ったコーチの言葉。
「次の大会のレースが終わった後タイム(電光掲示板)を見るな。まず自分の心に聞け、100%でトライできたか?できたと思ってから見ろ。」
調子は日々変わるが、一番大事なことは毎日の練習で自分が100%トライできたかということで、タイムが速い遅いではないということを言わんとしていたのだと気付かされた。
この100%を日々重ねることなのだと。

こうして迎えたアテネ。
100mは準決勝敗退。
200mは4位。
3位の選手との差は0.05秒。
距離にして約2cm。
小さいけれど大きな差。
たったこれだけの差でメダリストになれなかった。

帰国してまた厳しい現実。
成田空港でメダリストとそれ以外で分けられ、メダリストだけ記者会見場へ。

引退して12年、メダルコンプレックスが確かにある
でも、あれをすれば獲れたのにということが無い。
スタート台に立った時にやり残したことが一つも思い浮かばなかった。
悔しいし欲しかったし獲りたかったと思うけれど、後悔していない。
そう思った時に、泳ぎ切ったなと引退をすんなり受け入れることができた。
何て素晴らしい水泳人生だったと思う。
個人のメダルは叶わなかったが、人生においてとても大切な多くのものを得られたり、学ばせてもらったと思っている。

子供たちに伝えてあげるとしたら、自分の夢や目標は自分自身で決めて欲しい
そして自分で決めたことは、自分に負けずに挑戦し続けて欲しい、と。

メダルの色ではなく、選手がオリンピックという舞台で自分の力を出し切ることが一番大事で、その為のサポートや応援ということなのではないかと思う。

リオ五輪の総括をされ、テレビ朝日「グッドモーニング」水曜日レギュラーなので是非ご覧下さいという告知も忘れずにされた。

最後に質問を受けられ、丁寧にわかり易く答えられ、スイマーでなければ知らないであろう水泳トリビアも入れて下さり興味深く楽しく聴くことができました。

一生懸命さが伝わるアスリートらしい爽快感が余韻として残る大変良い講演で、田中先生はとても礼儀正しく、爽やかでチャーミングで素敵な大人のレディでした。

 

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